

アメリカに生まれ日本で成長し、世界で活躍した写真家・石元泰博。今年から来年にかけ、日本の三つの美術館で回顧展が開かれる。透徹したまなざしの写真家は、何を写したのか。AERA 2020年11月2日号に掲載された記事を紹介する。
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戦後、国際的に活躍した写真家・石元泰博の生誕100年を記念した回顧展が、三つの美術館で共同開催される。東京オペラシティのアートギャラリーでは活動前半に軸足を置いた「伝統と近代」展を、東京都写真美術館の「生命体としての都市」展では活動中盤から晩年に至る作品をそれぞれ展示。作家にゆかりのある高知県立美術館では来年、作品全般を振り返る展覧会が開催される予定だ。
■「1日29時間」を写真に
「伝統と近代」展では、桂離宮を捉えた代表作をはじめ、シカゴと東京の街と人を撮り続けたシリーズや、東寺の国宝「伝真言院曼荼羅」を撮影した両界曼荼羅シリーズなどが展示される。他にも同時代の建築家・丹下健三や磯崎新らの作品を撮ったものや、三島由紀夫、土方巽らのポートレートなど多様な被写体を貫く石元のまなざしに注目した展示になっている。
戦後の混乱の中、世界が認めた写真家・石元泰博とは、どのような存在なのだろうか。
石元は1921年、農業移民の息子として米国で生まれた。両親とともに帰国すると少年時代を高知県で過ごし、高校卒業後に単身渡米。戦時中は日系人収容所に収監されている。
戦後、シカゴでバウハウスの流れをくむデザイン学校(アート・インスティテュート・オブ・デザイン<ID>)に27歳で入学。「30歳までは勉強しようと思っていた」と語り、学友たちから「1日29時間写真に向かう」と評された。その言葉通り、在学中に学校創設者のモホイ=ナジ賞を異例の2度、受賞。卒業後はニューヨーク近代美術館の写真部門ディレクターで写真界の長老エドワード・スタイケンにも評価された。
■写真家の社会的使命
53年に来日して以降、シカゴと東京を拠点に活動した石元だが、69年に日本国籍を取得した。