
美術展や各地の芸術祭が縮小・延期されるなか、新しい芸術祭が奈良・奥大和で生まれた。緊急事態宣言下で始まった、画期的なアートイベントだ。AERA2020年11月9日号の記事を紹介する。
* * *
雨上がりの吉野山、深い緑の山道を歩いた。一足ごとに地面の感触が変わり、落ち葉の意外な柔らかさに驚く。
目を上げると、森の中、つぶらな瞳の鹿がこちらを見ている。木彫(もくちょう)の鹿は奈良県で開催中の「MIND TRAIL 奥大和 心のなかの美術館」の作品だ。
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言はあらゆる社会活動を直撃し、美術もまた例外ではなかった。そのコロナ禍で、通常は1、2年かける準備を7月から始め、10月にオープンした芸術祭が「MIND TRAIL」だ(11月15日まで)。
奥大和とは奈良県南部・東部エリアの総称だ。南部エリアには世界文化遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」や修験道の聖地として長い歴史のある吉野山から大峯山に至る地域を含む。東部エリアは深い山々の中に里山の風景が広がり、土地に根付いた産業や伝統行事が継承されてきた。今回は「吉野」「天川(てんかわ)」「曽爾(そに)」の三つのエリアを会場に、作品が新たに制作された。入場無料で、参加者は自由に歩きながらアート作品と出合う。
■自分の中に美術館
「奈良県39市町村のうち、奥大和の19市町村で面積の80%以上を占めています。一方、人口は全体の約10%。国立公園もあり、自然が豊かな地域です」と、奈良県庁総務部知事公室次長の福野博昭さん(60)。
例年なら日本中から花見客が集まる4月だが、今年の吉野山は閑散としていた。このままではコロナ収束前に、地域経済が立ち行かなくなってしまう。
福野さんはライゾマティクス・アーキテクチャー代表の齋藤精一さん(45)に「奥大和ならではの芸術祭」ができないか相談した。現地に入れば、「密」になることのない奥大和なら、注意を払いながら芸術祭を開くことは可能ではないか。
「コロナ禍で家にいるようになって、近所を散歩する人が増えました。私もその一人で、歩いてみると思わぬところに道祖神(どうそじん)を見つけるなど、発見があるんですよね」と、齋藤さん。「歩く」「奥大和」「観光復興」の三つをかけ合わせたら芸術祭はできる──齋藤さんは確信した。福野さんが予算などを調整し、かつてないスピードで芸術祭が動きだした。