

スタジオに現れた安田顕さんは、撮影が始まるまで、ずっと楽しそうに周囲のスタッフと談笑していた。フォトグラファーが、「そこに立って、キリッとした表情でカメラを見てください」と言うと、「はい」と答え、カメラを見た瞬間に、辺りの空気が一変する。求められるものに即応じることができるのは、役者の優れた才能の一つだ。ほんの数分の出来事なのに、多くのクリエーターが「一緒に仕事をしたい」と切望する旬な役者の能力に触れた気がした。
映画「ホテルローヤル」で、安田さんは波瑠さん演じる主人公・雅代の父・大吉を演じた。
「私は、波瑠さんの父親で、ラブホテルの経営者ですが、途中で、夏川結衣さん演じる妻・るり子に逃げられてしまう。登場する人物それぞれに抱えている荷物があって、ホテルの部屋ではその荷物を下ろし、見た目じゃなく心を裸にしていく。そういう映画です。人の秘密を覗き見している割には、意外とカラッとしていて、そこがいいんですよ(笑)」
「登場人物全員が、情けないけど愛おしいですね」と言うと、「ああ、嬉しいなあ。それはすごくいい言葉ですね」と言って微笑んだ。
「見終わったときに、一歩踏み出すときの背中を押してくれるような、そんな映画になればいいな、と。私は北海道の人間なので、北海道の情景も楽しんでいただきたいと思います」
新型コロナの影響で、4月にスタートするはずだった連続ドラマが、来年度のスタートに変更になったりしながら、緊急事態宣言が明けた7月からは主演舞台「ボーイズ・イン・ザ・バンド~真夜中のパーティー~」で全国を回った。
「試練が立ちはだかったとき、火事場の馬鹿力のようなものは湧きましたか?」と質問すると、「自粛期間中は、自分の弱さに気づきました」と、透明なアクリル板の向こうで眉毛をハの字にして頭を掻いた。
「何か自分のプラスになることをやりたいと思ったけれど、何もできなかった。多分、世の中には、身体を鍛えた人や本格的に語学を勉強した人、技術を身につけた人、本をたくさん読んだ人とか、いろんなことを新たに始めた人がいたと思う。でも僕の場合は、全く何かに手をつけることはありませんでした。仕事があることはあったので、それを有り難いことだと感じながら、仕事をしないでいい時間は、平々凡々と、ウジウジしながら過ごしていました(笑)」