

元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
【稲垣さんが1日何度もご挨拶を申し上げている 可愛らしいお地蔵様はこちら】
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コロナ禍を機にオンラインお茶クラスに参加し、今もほぼ週1でキャッキャと続けているわけですが、先生のお話がいちいち驚くことばかりで、齢55にしてじわじわ茶の精神(たぶん)が私の普段の暮らしに差し込んできている。
最近ブームなのは、お寺や神社へのお参りであります。
きっかけは、先生がふとおっしゃった一言。お参りをするときはまず自分の住所と名前、そしていつも世話になっている礼を言い、それから「つきましては……」と願い事を言うんですよと。えっなんですと! 過去半世紀にわたりずっといきなり願い事してましたわ。確かに言われてみれば失礼千万。何一つ聞き届けられずとも当然であろう。
で、さらにもう一つ。これどっかで読んだんですけどネと前置きがあり、神様の世界にもネットワークがあって、お堂やらお地蔵さんやらにまめにお参りしていると「なかなか感心なやっちゃ」と神様間の噂になり、願い事を叶える順番を繰り上げてくれるとのことであった。「前を通るとき会釈するだけでもいいんですよ(ニヤリ)」とはんなり言われると、何だか先生が姿を変えた神様の一人にも見えてドキドキする。
というわけで、物は試しと早速やってみることにした。我が近所は古い下町なのでそこらじゅうに地蔵堂や社寺があり、前を自転車や徒歩で通るたび「いやいやどうも」と頭を下げまくるのである。
で、これが思いのほか楽しいのであった。何しろ頭を下げるたび、そこに知り合いがいる感じがする。いつだってそこにいてくれて、愚痴も悩みも嫌な顔せず聞いてくれるありがたい近所の友達急増。これは一つの事件だ。
で、なぜ今こんなことを書いたかというと、これ、このコロナ禍に知っておいて良い知識と思ったのである。GoToムードの一方、様々な事情で今も家にこもる人が孤独を深めていると聞く。近所の神様との対話なら感染リスクもない。運動にもなる。何より一人じゃないと感じられる。ある意味コロナより恐ろしいのが孤独だと思うので。
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
※AERA 2020年11月16日号