ところが山田は、そこから大打者への道を歩んでいく。入団3年目の途中で二塁のレギュラーに定着すると、4年目の2014年はいずれもリーグ3位の打率.324、29本塁打と大ブレイク。シーズン終盤には「僕を(抽選で)引いてくれた監督ですからね。ホント、ヤクルトで良かったと思います」と、退任が決まった小川監督への思いを口にしたこともある。

 シーズンも残り2試合となった10月6日のDeNA戦(神宮)では、劇的な逆転満塁ホームランで日本人右打者としてはプロ野球史上最多のシーズン192安打を達成。その試合後、小川監督は「あくまで個人的なことなんだけど、初めてドラフトを経験して、くじを引いて外れて外れて(からの当たり)だったから、すごい思い入れがある」という山田について、しみじみと語った。

「スゴいのひと言ですよ。もう、それしか言いようがない。ここまで来るのは本人の努力が一番なんだけど、でもバッティングコーチとの出会いだったり、人との出会いによって今の彼の活躍っていうのがあると思う」

 小川監督のいう「バッティングコーチ」こそが、前年から二軍打撃コーチとしてヤクルトに復帰し、この年は一軍に昇格していた杉村繁打撃コーチである。それ以前にヤクルトのコーチをしていた時に青木宣親、横浜(現DeNA)コーチ時代には内川聖一(今季までソフトバンク)と、2人の首位打者を手掛けた名伯楽との二人三脚で、山田はさらに成長していく。

 翌2015年は打率.329(リーグ2位)、38本塁打(同1位)、100打点(同2位)に加え、34盗塁(同1位)で初のトリプルスリーを達成。リーグ優勝に大きく貢献し、栄えあるMVPにも選ばれた。優勝争いの真っただ中で「自分が打たないとチームも勝てないと思う」と話すなど、打線の主軸としての自覚も感じさせるようになっていた。

 そんな山田を「天才ですよ。努力もしてると思いますけど」と評した上で、ヤクルトに指名されたこともプラスに働いたと指摘していたのが、この年は4番バッターとして打点王に輝いた畠山和洋(現ヤクルト二軍打撃コーチ)だ。

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ヤクルトだから成長できた?