半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
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■横尾忠則「三島さん『君の絵は無礼だけどそれでいい』」
セトウチさん
僕が物心ついた頃、両親はすでに老人でした。実の両親を知らないまま老人の養父母に育てられました。二人共、尋常小学校しか出ていない無学の徒ですが、面白い言葉をよく知っていました。いわゆる故事・ことわざの類です。そんな言葉が日常の慣用句として、ポンポン出るのです。僕は一人っ子で人と話す機会がなかったので自然に両親の語ることわざを真似(まね)ていました。一日中、絵ばかり描いているので、本を読むことなどは十代にはほとんどなかったために、小学校を卒業する時、先生は親に、「中学に進学するというのに幼児語が抜けないのが心配」と伝えた。そういえば中学に入っても親には「ターちゃん」と自分のことを三人称で呼んでいましたね。
だけど、友達に対しては面白がって、「聞いて極楽見て地獄」とか「蛙(かえる)の子は蛙」とか「鬼の目にも涙」とか「短気は損気」とか「万事休す」とか、こんな古臭い言葉や、自作のオノマトペを使っていました。
今でも僕は絵の主題に困った時は、ことわざを形象化したり、画面にオノマトペを書き込んだりしています。そんな僕の言語感覚や視覚言語を面白がってくれる三島(由紀夫)さんは、「君の絵は実にエチケットのない、無礼な絵だけれど、それでいい。俺と君の共通点は、ブラックユーモアだなあ、日本人は真面目過ぎて、この良さが判(わか)んないんだよな」。
三島さんのこうした考えの背景にある愚に徹した生き方を自らの浪漫主義と主張して、この意識は魂に忠実に従うことで全てが許されるとしていました。つまり、生きるのにいちいち理屈は必要ない。真理を求める心こそが愚であるとしています。思わず「知者は惑わず」なんてことわざがふと浮かんできました。