でも、死んでしまったら、本が読めなくなるのが一番淋(さび)しいですね。どんな大けがをしても、目が見えることが有難(ありがた)いと思います。
私はこの数日、朝から晩まで、夢の中までも三島さんの本ばかり読みふけっています。衝撃のあの自決の日から五十年の節目のこの年になって、なぜか、あの世からの三島さんの声が夜な夜な聞こえてくるのです。私はヨコオさんのように、生きていた三島さんから可愛がられた仲でもありません。三島さんが小説家になり始めた頃から、ファンレターを出し、それに全く予期していなかった返事がすぐ来て、びっくり仰天しながら文通が始まったのです。
「自分はファンレターに一切返事を書かない主義だが、あなたの手紙はあんまりのんきで面白いので、返事を書く気になりました。」
という文面で、返事が来たのです。それ以来、私たちはお互いの顔も声も知らないまま、手紙のやりとりが続く間柄になったのでした。
私が小説を書き始めたとき、最初にそれを読んだ三島さんから、
「あなたの手紙は、あんなに面白いのに、小説は何とまあつまらないのだろう」
という手紙が来たことをはっきり覚えています。それでも私が少女小説を書き始めた時、三谷晴美というペンネームをつけてくれ、その小説が活字になり生まれてはじめて原稿料というものを貰(もら)ったとき、
「こういう時は名付け親にお礼に何か贈るのが礼儀ですよ」
と言ってきたので、私はあわてて、煙草が好きそうな三島さんに、ピースの缶入りを三個送ったのをとても喜んでくれ、
「でも、このことは世間には内緒ですよ」
と折り返し手紙が来たのを覚えています。
ヨコオさんは、三島さんから、世間との付き合いの礼儀作法などを教えられたそうですが、あの人はそういうことを教えたがるおせっかいな面があったのかもしれませんね。でも自分より若い者、弱い者、おろかな者に対しては、ほんとにやさしい人だったですね。私と三島さんの間柄が、ある時からぐっとちぢまったのは、彼の「英霊の声」が雑誌「文芸」に載った時からでした。この話は長くなるから、今日の手紙はここまでにしましょう。
昨夜、徹夜で、佐藤秀明氏の『三島由紀夫 悲劇への欲動』という岩波新書を読んだので、興奮が冷めず、まだ少しも眠くありません。でも今日はここまでにしますね。
おやすみなさい。 寂聴
※週刊朝日 2020年12月11日号