
SNSの登場で米国大統領が自ら発信するなど、大手メディアの役割も激変。大統領選を長年取材し、テレビや新聞を熟知する2人がその役割を考える。
※「ポスト・トランプ時代を考える 星浩×長野智子が米大統領選を総括する」より続く
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長野智子:これは最近ブログにも書いたことなのですが、この春、視聴率を調査するビデオリサーチが変わったことが、テレビの現場に大きなインパクトを与えました。世帯視聴率から個人視聴率重視になって、番組を見ている人の年齢や性別までわかるようになった。そして、スポンサーがそのデータを見てターゲットにしたいというコアターゲットは若い世代です。局によって違うんですけど、だいたい13~49歳。
星浩:それはスポンサーが若い人に物を売りたいと狙っているからでしょう? スポンサーもただテレビに広告を出しても売れないって気づきはじめた。
長野:そうなんです。そうすると、報道も若者をターゲットにしなければという流れになる。昔は、報道はある種の聖域というか、数字も大事だけど伝えるべきことをやろう、という空気があったのですが。広告収入が減ったことで、2時間ドラマを作る体力がなくなってきた。報道・情報番組はドラマよりは安く作れるから、その枠を報道で埋めようとする。そうすると余計に、若い人をターゲットに「わかりやすいニュースをやりましょう」ということになる。でもこの「わかりやすく」というのが報道の首をしめていますよね。元来ニュースはわかりにくいものなんです。
星:その通り。最近、武田砂鉄さんが『わかりやすさの罪』という本を出したんだけれど、「すぐにわかる」ことに頼り過ぎのメディアに警鐘を鳴らしています。
長野:本当にそうなんです。ニュースというのは、米国と中東の問題が典型ですが、善か悪か、何が正しくて何が誤りか、2択ではない、グレーの部分が多いものです。それを丹念に取材することで伝えるのが本来の「わかりやすさ」だったんですが、いまは「わかりやすい」イコール誰もが知っているニュース、になってしまった。さらに取材する時間も予算もないから、とりあえずさまざまな立場の人をスタジオに呼んでいろいろな意見でうめてゆく、という流れが生まれた。どんどんテレビからジャーナリズムが消えていったように思います。