人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、歌手の山崎ハコさんとの親交について。
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テレビで久しぶりに山崎ハコさんを見た。「ザ・インタビュー」というBSの番組で、幻冬舎の石原正康さんがインタビュアーを務めていた。
ハコさんは以前から気にかかっていたシンガーソングライターだが、しばらく見かけなかった間、彼女につらくあたった事務所が倒産し、ついに住む所もなくなって中華料理店で働いていたという。
偶然その店に来た俳優で演出家の渡辺えりさんに救われた。歌の暗さを地で行くような人生だった。
彼女にしか生み出せない胸を刺す言葉とメロディに私は魅了された。ファンだったが、消えてしまったのが不思議だった。
その後、再び、歌いはじめ、昔の輝きを取り戻しつつあったが、本物の彼女は決して暗い人ではない。人生に忠実で懸命に生きている姿勢が好きだ。
そのハコさんとは、今は北海道に移った「ル・ゴロワ」というフランス料理屋で、三國連太郎さんの奥さんを励ます会で初めて会った。
テーブルをはさんで私の前に座っている人の名札が「山崎」だった。ひょっとしてと思って、
「ハコさん?」
と声をかけたところから縁が始まった。「縁」は彼女のヒット曲の名前でもある。
昨年亡くなった句友の声優、白石冬美さんがハコさんと仲良しだったこともあって、必ず年に一回はハコさんのリサイタルに一緒に行くようになった。
舞台の彼女のそばには、いつもギターの名手がいた。井上陽水さんの曲のギタリストとして知られた安田裕美さんと結婚して、ハコさんもこれから自分の才能を存分にのばすことができると安心したのも束の間、大腸がんと闘っていた安田さんが、今年七月に亡くなってしまった。
ハコさんを包みこんでくれる温かさを感じていたのに……。
今年はコロナもあってリサイタルを開くことができなかったが、どうしているのかと気が気ではなかった。