「あれれぇ! この資料、どっから? いや、まいったな。確かに私が作成したものだが、ヤバいよ、これは。わかるでしょう!」

 動燃(動力炉・核燃料開発事業団=現在の日本原子力研究開発機構)OBの1人は頭に手を当てて何度も天井を仰ぎ、しきりに「まずい、まずい」と繰り返した――。彼がこれほど慌てふためいたのは、高速増殖原型炉「もんじゅ」の事故隠蔽問題について調査を担当し、1996年1月13日に謎の死を遂げた西村成生(しげお)氏(当時49)の残した「西村ファイル」の存在だった。その中に「方面(かたも)地区住民資料」と題された、A3用紙6枚分にわたる手書きの極秘資料があった。ジャーナリストの今西憲之氏と本誌取材班が明らかにする。

*  *  *

 動燃は1990年前後、岡山県と鳥取県の県境・人形峠の住民と「ウラン残土」撤去をめぐって対立していた。「西村ファイル」には、動燃が地元住民に対して詳細な素行調査や思想チェックを行った驚くべき「工作」の記録が残されていた。

 特に反対派住民は入念にマークしていた。反対運動の中心になった住民の榎本益美さん(77)についても、実に細かく調べ上げていた。

〈昨年(88年)8月15日以来、反対の筆頭に立っている〉〈元鉱山労働者として放射能の恐ろしさをPNCが教育していなかった等、被害者意識が強く、市民グループ、社会党、プレス等をバックに「全面撤去」を主張し、全区民を巻き添えにしている〉

 さらに榎本さんに対する「工作」方法を具体的に説明している。

〈社会党対策会議の○○(原文は実名、以下同)、共同通信記者、市民グループとの関係を切ることであろうが、当面、本人を孤立させ相手にしないことが効果的である〉

 反対運動の中心である榎本さんを地区から孤立させ、周囲の住民から先に切り崩していこうという作戦が読み取れる。この動燃の「工作」は一時は成功し、榎本さんは孤立を深めていた。地元住民の一人は、こんな場面を覚えている。

「ある町議が地区の人間を呼んでウラン残土問題についての説明会を開いたとき、榎本さんが会場にやってくると、町議が『お前は呼んどらん、帰れ!』と怒鳴りつけた。町民を守るはずの議員がなんてことを言うのかと驚いた」

週刊朝日 2013年3月15日号