李登輝さん (c)朝日新聞社
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1993年11月、当時の李登輝総統(左)と握手する吉田信行さん。間に立つのは佐々淳行さん(台北市) (吉田信行さん提供)
1993年11月、当時の李登輝総統(左)と握手する吉田信行さん。間に立つのは佐々淳行さん(台北市) (吉田信行さん提供)
2020年に亡くなった主な著名人 (週刊朝日2020年12月25日号より)
2020年に亡くなった主な著名人 (週刊朝日2020年12月25日号より)

 2020年7月に亡くなった台湾の元総統、李登輝さん。産経新聞元台北支局長の吉田信行さんが故人をしのぶ。

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■「日本の真の友人は台湾だけ」

 李登輝さんこそ、「台湾民主化の父」でしたね。1988年1月から約12年間の李総統時代で、台湾は別の国に生まれ変わった。「夜ろくろく寝ることができなかった。子孫をそういう目に二度と遭わせたくない」と、司馬遼太郎さんとの対談で言ったように、台湾人を苦しめた法律、組織を次々と廃止、蒋介石の残党を巧みに追放した。一方で野党の民進党を育て、平和的に権力を移譲させた。中華系の民族が民主国家を持ったのは、長い数千年の歴史で初めてでしょう。シンガポールだってまだ、独裁的な政治が続いているんですから。

 私は91年に産経新聞台北支局長となりました。当時、台北に支局を置く日本の主要なメディアは産経だけで、十数回単独で会ったと思います。なかなか帰してくれず、総統はヒマなのかなと思ったぐらいでした(笑)。でも厳しい政治家でしたね。中国の浙江省で台湾人観光客24人が乗った遊覧船が襲撃され、全員が焼死体で発見された千島湖事件(94年3月31日)が起こったとき、李登輝さんは言いました。

「中共の行為は土匪(強盗)と同じだ。人民はこんな政府をもっと早く唾棄すべきだった」

 土匪は激烈な言葉で、台湾全土が驚いた。中国からの武力攻撃を心配する声も多く、私が「もう少し穏便に言われたほうが……」と余計なことを言うと、李登輝さんは、

「こんなときはガツンとやるに限るんだ。そうすると中国人はおとなしくなる。下手(したて)に出るとつけあがるよ。日本は中国に遠慮して、つけあがらせてばかりじゃないか」

 その後、当時の李鵬首相が陳謝し、哀悼の言葉を述べています。言うべきことを、言うべきタイミングで話す。学者然としながら、したたかな戦略家でもありました。

 李登輝さんに会うと、大概の日本人はファンになってしまう。日本語も上手だし、教養も深い。とびきりの親日家でしたが、言っていました。「ところで台湾をのぞいて、日本には真の友人がいるのかね」。アメリカでも中国でもないだろう。台湾を見ろと。米中に頭が上がらない日本をシニカルに見てもいた。現在の日本の政治家と比べるべくもない、覚悟と信念を感じさせる人でした。

(構成:本誌・鮎川哲也、太田サトル、村井重俊/吉川明子)

週刊朝日  2020年12月25日号