ただ、この猗窩座のセリフは、彼が人間を「か弱き者」と思っていること、そして「人間の死」を何よりも嫌っている心情のあらわれでもある。人間を死に追いやる側の存在である鬼が、人の死に不快感を示す。ここには矛盾がある。

 また、このシーンの直後、鬼になることを煉獄に断られた猗窩座は、それならば、と「耐えられない 死んでくれ 杏寿郎 若く強いまま」と叫ぶ。強くなるため以外の目的を持たない、「この世」という無限の生き地獄を共に歩もうと誘った相手である煉獄すらも、自らの手で殺害しようとする。執着した煉獄をたった一度の説得だけで諦め、すぐに殺害しようとする姿勢は、前出のセリフとの矛盾を含んでいる。

 鬼の総領である鬼舞辻無惨(きぶつじ・むざん)の命令を受けてはいるものの、単に命令の完遂のためだけならば、猗窩座の一連の行動には無駄が多い。彼の心の矛盾が、そのまま各コマのセリフの矛盾となって浮かび上がってくるのである。

■猗窩座のいう「弱者」とは?

 この猗窩座の一連のセリフをひもとくには、彼のいう「弱者」の意味を考えなくてはならない。

<弱者に構うな 杏寿郎!! 全力を出せ 俺に集中しろ!!>
<そうか 俺も弱い人間が 大嫌いだ 弱者を見ると虫酸が走る>
(第8巻 63話「猗窩座」)

 炎柱・煉獄杏寿郎は、猗窩座と対峙した際に、無限列車の200人もの乗客すべてと、自分の部下である竈門炭治郎(かまど・たんじろう)、我妻善逸(あがつま・ぜんいつ)、嘴平伊之助(はしびら・いのすけ)、そして炭治郎の妹の禰豆子(ねずこ)を守りながら戦っている。広範囲の守備は煉獄の集中力と体力を削っていくため、煉獄がそのような戦い方を選択することに対して、猗窩座は苦言を呈す。自分が守らないといけないもの=弱者なのだと。そして、自分や、自分の実力と匹敵する強者たちの周りにいる弱者を、心底嫌っている様子をセリフの中ににじませる。

 猗窩座の要請に、「強さ」とは何か、という返事で答える煉獄は、自分が希求する「強さ」が何に向かうのかを知っている。煉獄の述べる「強さ」は「すべての弱き人を助けるため」に存在する。それに対して猗窩座のセリフは弱者、つまり「弱さ」にばかり向けられており、猗窩座がこんなにも「弱さ」に気を取られていることが、このシーンではっきりと読者に示される。煉獄と猗窩座のセリフの対照性は、猗窩座の「弱者」への執着心を如実にあらわしているといえよう。

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「自分の大切な人の死を受け入れられない」