「ドカベン」をはじめ、数々の名作を世に出した野球漫画の巨匠・水島新司氏が12月1日、“現役引退”を発表した。
水島氏の作品を語るうえで見逃せないのが、過去の名場面や架空の設定が、未来の現実世界で、まるで予言書のように再現されていることだ。
まず、甲子園の常勝チーム・明訓高は、水島氏が入学を希望しながら家庭の事情で果たせなかった新潟明訓高にちなんで命名されたものだ。
同校は、水島氏が隣接する白新中に在籍していた1953年夏、信越大会決勝で松商学園に0対6で敗れるなど、甲子園への道のりは遠く険しかったが、91年夏、小林幹英(元広島)を擁して創部45年目で悲願の初出場を実現。“明訓のモデル校”として話題になったばかりでなく、県大会で背番号14をつけた水島氏の甥が、練習要員として甲子園のグラウンドに立つという不思議な巡り合わせもあった。
この快挙を喜んだ水島氏は、開幕試合となった柳ヶ浦戦の応援に駆けつけ、“ドカベン”香川伸行氏と一緒にスタンド観戦している。その後、同校は10年夏に甲子園8強入り。将来、漫画の世界同様、全国制覇する日も来るかもしれない。
甲子園といえば、「ドカベン」で、江川学院の中二美夫が山田太郎を5打席連続敬遠するシーンも、92年夏、星稜高の“ゴジラ”松井秀喜が明徳義塾戦で5打席連続四球と勝負を避けられ、現実世界でも再現されたのは、ご存じのとおりだ。
80年代の作品「大甲子園」でも、甲子園準決勝で青田高の中西球道が163キロを投げるシーンが描かれたが、当時はNPBでも“夢の160キロ”と言われた時代。ましてや高校生は到底不可能と思われたのに、19年に大船渡高の佐々木朗希が球道と同じ163キロを記録。ここでも架空の話が未来において現実になった。
プロ野球も然りだ。80年代前半の作品「光の小次郎」では、日本にドーム球場が存在しなかった時代に札幌ブルワーズの本拠地・札幌ドームが登場。当時は北海道にプロ球団ができるのは夢のまた夢と思われたが、04年から日本ハムが本拠地を北海道に移し、今やすっかり道民球団として定着した。