結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です」

 このように結婚へ突き進もうとする眞子さまと小室さん。お2人に反発する理由は、国民が皇室に求めるものと無関係ではないだろう。それは、実は外の目を通してみた方がよくわかる場合がある。前出の河西氏がこんな興味深い話をしてくれた。

「中国人の留学生に日本の天皇制についてどう思うかとたずねると、ほとんどの人が残すべきと答えるのです。戦争責任という視点から批判的かと思ったら、中国人からしたらうらやましい存在なんだと。その理由をたずねると、中国の政治家は国のためといっても所詮、自分の利益しか考えていないが、日本の天皇陛下はどこか個人の立場を超越した存在だからいいんだ、と言います。中国は腐敗が多く、社会もぎすぎすしているが、日本はやわらかいまとまりがあるのは象徴天皇制があるからではないか、という人もいました」

 象徴天皇制、ひいては皇族のふるまいに、「個人を前面に出さないこと」を求めている国民が多いのかもしれない。それがいいことなのか、眞子さまの本当の幸せにつながるのかは別として。

人びとがその社会の価値観や倫理観を反映した「象徴」を求めるのは、日本に限った話ではないようだ。最後に、皇室をもたない国について、次のような指摘があるのを紹介しておきたい。

「皇室や王室をもたいない米国において、国民は最高権力者である大統領にある種の倫理的なロールモデル、あるいは崇高さを求める傾向があります。二十一世紀今日でもジョン・F・ケネディを神格化し、無条件でもてはやす理由もそれと無縁ではありません。その米国において、クリントン夫婦が纏い続ける独特の空気は、少なくとも、ある一定の人たちには今もある種の違和感を覚えさせているのです」(『ヒラリー・クリントン―その政策・信条・人脈―』、春原剛著、新潮新書)

 この指摘が正しいのならば、ドナルド・トランプ氏が大統領の4年間で米国の分断が深まったことは、あらためて「象徴」とは何かを考えさせられる出来事だろう。

 さて今後、眞子さまの結婚問題はどのようなかたちで着地するのか。

「小室さんがどのように説明されるのかはわかりませんが、今になると『Let it be』 という小室さんの座右の銘が重く響くと感じています」(辛酸さん)

 多くの国民はお2人の言動を固唾を飲んで見守っている。

(AERAdot.編集部/鎌田倫子)

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