


2019年10月に焼失した首里城の再建計画が動き出した。中心となるのは、前回再建の担い手たちの子や弟子の世代だ。磨き上げた腕と経験を生かす機会が間もなく来る。AERA 2021年1月11日号から。
【写真】焼失前の「女官居室」の瓦葺き作業に当たる島袋瓦工場の社員
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鮮やかな朱で全面を彩られ、「赤い城」とも呼ばれる首里城。赤瓦の屋根や弁柄が施された壁面は、2019年10月31日の火災で主要な復元建物が全焼した後も多くの人の記憶に残る。そこに刻まれていたのは、周辺諸国との交易を通じて様々な文化を吸収し、工芸技術を磨いてきた琉球王国の美の結晶だ。
この伝統的な「琉球の赤」を継承する若手職人たちが今、沖縄のシンボルの再建を担おうとしている。
■美しさと実用性を兼備
「沖縄の赤瓦の魅力は色合いだけでなく、機能美を備えている点にあります。これらは先人の知恵と努力のたまものです」
こう話すのは、赤瓦の特産地・沖縄県与那原町に窯を構える「島袋瓦工場」の島袋拓真専務(41)だ。1952年に祖父が創業した県内最大規模の瓦工場の現場を仕切る。
赤瓦の主な原料は、鉄分を含んだ泥岩「クチャ」と赤土だ。沖縄南部で採れるクチャはもともと海底に堆積した粘土で炭酸カルシウムやミネラルを豊富に含む。赤瓦が赤いのは焼成した際、クチャの鉄分が酸化して赤褐色になるためだ。
素焼きの赤瓦の吸水率は8~10%。この瓦はスコールのような短時間に激しく降る雨(沖縄で「カタブイ」と呼ぶ)に見舞われた際に雨水を吸い、日差しが戻ると蒸発させ、気化熱で屋根の温度を下げる役割を果たす。
「人間が汗をかくのと同じ作用です。漆喰で塗り固める施工技術が定着したのも、台風が多い沖縄で瓦が飛ばされるのを防ぐためです」(島袋さん)
素焼きの素朴な風合いも、赤瓦とのコントラストが映える白漆喰の瓦葺きも、亜熱帯の気候風土に適した実用面の創意工夫を重ねて育まれた技法なのだ。
赤瓦の伝統は17世紀にさかのぼる。琉球王朝時代は首里城周辺での使用に限定されていたが、明治以降は庶民に解禁され県内一円に普及した。しかし戦後は、台風に強い鉄筋コンクリート造の住宅が増え、赤瓦の需要は安定しなかったという。