自民党総裁選討論会で「自助」を強調する菅氏(当時は官房長官)(C)朝日新聞社
自民党総裁選討論会で「自助」を強調する菅氏(当時は官房長官)(C)朝日新聞社
経済ジャーナリストの財部誠一氏(写真=本人提供)
経済ジャーナリストの財部誠一氏(写真=本人提供)

 菅政権の発足から約4カ月。コロナ対応の遅れなどから支持率は39%(朝日新聞調べ)にまで急落している。菅義偉首相は目指す社会像として「自助・共助・公助」を掲げているが、それが何を指し示すのかは判然としない。だが、菅首相と親交がある経済ジャーナリストの財部誠一氏は「首相就任後も、菅さんは一貫して自助の精神を発揮している」と話す。その真意とは何か。はたして、菅首相はこの国をどう導こうとしているのか。財部氏に聞いた。

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「菅義偉という人物のすべての原点は、横浜市議選にあります」

 経済ジャーナリストの財部誠一氏はこう断言する。財部氏は、菅首相とは会食などを共にして意見交換をする仲で、昨年12月には菅氏の人間像に迫った『冷徹と誠実 令和の平民宰相 菅義偉論』も上梓した。菅氏の内面を知る数少ない人物の一人だ。

 財部氏によると、今の菅氏の考え方や振る舞いも、すべては横浜市議時代に礎があるという。

「菅さんは市議選を通して、人の社会や世間の厳しさを痛いほど突きつけられました。そうした中で、菅さんはある書籍を読んで、強い影響を受けたのです」

 菅氏に大きな影響を与えたとされるのが、サミュエル・スマイルズの名著『自助論』だ。1859年刊行の本著は、ソクラテスやコロンブスなど偉人たちの言葉やエピソードを引用しつつ、「自助」の重要性を訴える成功伝集。その内容と菅氏の過去には共通項がある。

 菅氏が横浜市議に初当選したのは、1987年。それ以前は、自民党の小此木八郎衆院議員の父・彦三郎氏の秘書官を務めていた。市議選出馬のきっかけは、高齢だった当時の市議会議長が引退を表明したこと。菅氏は彦三郎氏や周辺から後押しされる形で、初めての選挙戦に臨んだ。

「ところが、議長が引退を撤回してもう一期続投すると言い出した途端、周囲は手のひらを返したように菅さんの応援をやめてしまったのです。『若いんだから、もう一期くらい待てばいいじゃないか』と。ただ、菅さんは当時38歳で、高齢の議員が多数を占める議会の中では若さを売りにできる。30代のこのタイミングで出てこそ勝機があると考え、彦三郎さんらに逆らう形で出馬した。後にも先にも選挙で泣いたのはこの時だけと菅さんは振り返るほど、激しい選挙戦でした。それでも、自分の足を使って選挙戦を続けるうちに、徐々に応援する人が増え、苦労の果てに当選した。『共助をあてにしているだけでは道はひらけない。自分で判断して、自分で決断し、自分で行動する。これこそが人生の基本である』ということを、政治家人生のスタートで思い知ったのではないでしょうか」

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選挙で破れた議員に『自助論』を手渡した