外山:あったね。役の背景を全キャストが自分で考えてきて「私はこういう人生を歩んできて、今この物語のここのシーンにいます」と発表した。でも、岡本さんは発表しなかった。あれはなぜだったの。
岡本:マナは言わない。自分の過去はマナの周りの人には関係ないというか。マナにとっては相手の過去や相手に寄り添うことは、その人がすごく幸せになる一つだと思っていますが、マナの過去を知ることは相手にとって幸せではないと思っている。だから言いたくなかったんです。でも、もちろんマナの背景は作りましたよ。小出しにして、外山さんの反応をうかがっていました。
外山:言わない選択をするのも自由です。「考えてないのかよ」とは思わないですから(笑)。
岡本:みんなが自分の背景を語ったことで、台本が変わったところはいっぱいありましたよね。
外山:特に高齢者の方々一人ひとりが「私はこういう形でマナと出会ったんです」と考えてくれましたから。私自身も全キャストから「こんな背景を持った人物なんだ」と教えてもらいました。こういうアプローチは実は私自身初めてだったので、とても面白かったです。
岡本:背景が重すぎることもありましたね。
外山:そうそう。私は以前は自分でキャラクターのバックボーンを全部書いていたんですが、ある俳優さんに「役者を信じてないな」と言われて納得したんです。映画は一人で作るものではないですし、自分が脚本を書きはしますが、俳優たちにはそれを超えてほしいという思いがすごくある。私は脚本コンクール出身なので、脚本には自信があったんです。でも、20代で撮ってきた作品はやっぱり脚本に頼りすぎている。小さな枠の中に収まったお芝居に見える。そういう思いが実体験としてあります。
――茶飲友達に電話をしてくるのは孤独な高齢男性たち。だが、65歳以上のコールガールたちもギャンブル依存症だったり、万引きの常習者だったり。運営側にいる若者たちもみな孤独だ。マナは母親からの愛情を受けたことがなく、妊娠した途端捨てられた女性や、事業に失敗した父親を支える青年など、誰の心にもぽっかり穴が開いている。孤独を抱える者同士がつながる“ファミリー”は、心地よくて温かい。だが、ある事件をきっかけにそんな疑似家族は一瞬にして崩れ去る。