個性派俳優・佐藤二朗さんが日々の生活や仕事で感じているジローイズムをお届けします。今回は、おせち料理について。
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先日、僕の友人が自身のツイッターに「子供のころはおせち料理の良さが分からなかったけど、歳を取ってきて分かるようになってきた」というような趣旨のことを書いてて、最近の言葉で言うといわゆる「分かりみが深い」気持ちになりました。
僕も子供のころ、おせち料理なるものに1ミリの興味も持てませんでした。というか、お正月で唯一憂鬱なことは「おせちを食べなければいけない」ことでした。僕の子供のころは(もしかしたら今の子供たちもそうかもしれませんが)、やはり子供の好きな食べ物の雄はハンバーグ、カレー、ラーメンといった、なんというか、「そらそうだわな」という食べ物でした。
なのに、おせちときたらどうでしょう。黒豆、田作り、きんとん、紅白なます、煮蛤、昆布巻き、筑前煮…ちょ、ごめんなさい、いま書いててあらためて思いましたが、これ、子供はいったい何を食べればいいんだ?というようなラインアップではないでしょうか。子供がおせちに興味が持てないのも、ある程度は仕方がないような気もします。
しかし。しかしです。51歳という、もちろん60、70の方々からみたらまだまだ若造、しかし老眼などの老いも確実に始まってきているこの年齢になってみると、このおせち、なんとも味わい深い、ぜいたくな食べ物ということが分かってきます。
「分かってきます」と書きましたが、それは、おせちにはそれぞれの料理におめでたい意味や由来があるといった「知識」が身についたからではなく、「感じる」んです。感覚として、おせちは本当にいいものだと思えるようになってきたんです。
何段もの重箱に詰められた料理の数々、その料理のそれぞれの佇まい、色とりどりの料理の麗しい見た目、味の奥深さ…。がっついて食べるような料理はひとつもなく、一品一品、ゆっくり静かに噛みしめるように食べる。どうか穏やかにと願う、1年のはじめになんともふさわしい食べ物だと思います。