今も少年のような無邪気さを保ちながら、エピソードの端々には〝才気〟が(提供)
今も少年のような無邪気さを保ちながら、エピソードの端々には〝才気〟が(提供)
タケカワユキヒデ(提供)
タケカワユキヒデ(提供)

 ゴダイゴの名曲「ガンダーラ」「銀河鉄道999」は、いかにして生まれたのか。ボーカルを務めるタケカワユキヒデさんが、ゴダイゴ結成秘話とともに明かした。

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>>【前編/早大、上智大、東外大「3枚の学生証」持っていた!? タケカワユキヒデ秘話】より続く

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 外語大で英語を学びながら音楽活動を続ける中で、デビューしないかという話は何度かあった。でも、タケカワさんが「英語で歌いたい」と言うと、「それじゃ売れない」と話は立ち消えになるばかり。ついにアメリカの音楽出版社の日本支社と作曲家として契約を果たし、全編英語のアルバムをリリースすることになったのが22歳のとき。ただ、いくらアレンジの譜面を完璧に書いても、スタジオミュージシャンが演奏すると、思ったとおりの演奏にならないことに困惑していた。そんなある日、救世主が現れる。

「プロデューサーが、『ミッキー吉野って知ってるか? 今度アメリカから帰ってくるから会いに行こう』と。スタジオでのレコーディングに参加してもらったら、ミッキーが、『みんな来て! これね、こういう感じだと思うんだ』と言って、僕の譜面を自分の解釈で弾いてくれた。僕はそのとき悟ったんです。音に関してのイメージをうまく伝えられる人がアレンジに向いてるって。以来、僕は作曲と歌に専念することにしました」

 その年の暮れに、ミッキーさんと話し、「一緒にやろうか」と意見が一致し、生まれたのが「ゴダイゴ」だった。

「でも、なんてったって歌詞が英語だから、最初の2年半は鳴かず飛ばず(苦笑)。CM、テレビの劇伴から、映画音楽、他の人のアルバムのプロデュースを頑張ってずーっとやり続けてたとき、僕の後ろ盾だった音楽出版社が、突然閉鎖されてしまうんです。映画の『キタキツネ物語』の音楽をやったことが縁で『ガンダーラ』に辿り着く頃にはみんな瀕死の状態(笑)。スタジオにずーっと籠もってレコーディングして、気力、体力ともに限界を感じていて。『ガンダーラ』だって、最初のイニシャル(出荷枚数)でいったら何千枚ですよ。でも、ドラマが注目されて、僕らがテレビに出たら、どんどん曲もヒットしていった」

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