最後にもう一つ興味深いユダヤ人の話をします。日本が正式に開国する前年の1846年、バーナード・ベッテルハイムは、妻と子どもを伴って英国船で沖縄・那覇に着きました。ベッテルハイムはハンガリー系ユダヤ人で、若い時はユダヤ教の宗教的指導者であるラビになるべく勉強していました。その後、イタリアと英国を旅行してから、なんと、キリスト教に改宗しました。そして医学の学位をとり、フランス語、ドイツ語、ヘブライ語、英語、ハンガリー語、イタリア語など、数カ国語をマスターしました。その中には少しの日本語も含まれます。那覇の有力者の意に反し、彼は船を降りて上陸し、那覇にある護国寺という寺を住まいにして7年間滞在しました。彼の2番目の娘は1848年に那覇で生まれ、おそらく沖縄で最初に生まれた欧州出身の子だと思います。

 ベッテルハイムの目的はキリスト教の布教でした。しかし彼の努力にもかかわらず、布教活動は失敗します。それは琉球の人たちと有力者の協力を得られなかったためです。1854年、彼は那覇を去りますが、その前に彼はペリー総督にも会い、交渉の助力を申し出ています。同志社大で教鞭をとっているイスラエル人のドロン・コーヘン氏は、聖書の日本語翻訳の研究をしています。彼によると、ベッテルハイムは沖縄の地元の人の助けを借りて、最初の旧約聖書の和訳を試みました。ただ日本語の知識は限定的で、聖書のごく一部しか訳すことができませんでした。

 今回の記事で、私は近代における日本人とユダヤ人の出会いを紹介してきました。このような出会いは日本に来た野心的な個人が新しい文化に適応し、日本という場所に定住しようと努力したことによって可能となったのです。現在でも神戸と東京のユダヤ人コミュニティーは継続しており、京都でも小さいですが新たなユダヤ人コミュニティーが育っています。ユダヤ人と日本人の対話はまだまだ続いています。

〇Nissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)/国立ヘブライ大学教授、同大東アジア学科学科長。トルーマン研究所所長。1996年、東洋言語学院(東京都)にて言語文化学を学ぶ。2000年エルサレム・ヘブライ大にて政治学および東アジア地域学を修了。2007年京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了、博士号を取得。同年10月、アジア地域の社会文化に関する優秀な論文に送られる第6回井植記念「アジア太平洋研究賞」を受賞。12年エルサレム・ヘブライ大学学長賞を受賞。研究分野は「日本政治と外交関係」「アジアにおける日本の文化外交」など。京都をこよなく愛している。

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