元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。
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今年の正月は、父と姉と3人で母の墓参りへ。墓と言っても千葉は房総の山である。自然保護活動をしているNPOが、開発で削り取られたハゲ山を樹木葬により最後は自然の山に戻すという壮大な計画で、いずれは父も私も、母と共にこの山の一部となる。
で、今回ここへ来たのは理由がありまして、母のお骨と共に植えたクロモジの苗が夏の酷暑のせいかうまく育っておらず、よければ別の木に植え替えますと連絡を受けたのだ。現地であれこれ相談した結果、木の成長が見たいという父の希望(何せクロモジは何度来てもとんと背が伸びてくれず父をやきもきさせていた)もあり、すくすく育つというエゴノキを植えることにした。
冬のポカポカ陽気の中、誰もいない静かな山の中で、3人の中高年がヨタヨタと苗木を植樹するのは思いの外楽しい作業であった。何より嬉しかったのは、一見枯れてしまったようにも見えたクロモジが、植え替えのため掘り返したところ案外がっちり根っこをはっていたことである。厳しい環境の中でも人知れず枯れまいと踏ん張っていたんだと思ったら、最後まで頑張り屋だった母の姿を見るようで涙が出た。このクロモジも周辺の森づくりに大切に役立てさせていただきますとのこと。安心である。
思えば我ら3人、母をこの地に埋めて以来、しょっちゅうここへ来ている。なんかね、どんな行楽地へ行くよりも楽しいのだ。自然が大好きな職員の方に近頃の山の木や鳥や虫の様子を聞き、のんびり墓苑を散歩して草花やらオタマジャクシやらを見て鳥の声に耳をすませていると、日頃の争いごとも悩みもどこかへ飛んで行ってしまう。いろいろあっても最後はこのような大きな自然の中に帰っていけば良いのだし、またそれしかないのだ。ならば何をあれこれ憂うことがあろうか。
そうなのだ。何があろうが我ら死ぬまでは生きている。ならばどう生きるのか。人に優しくおおらかに。ということで正月編終了。今年もよろしくお願いいたします。
稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行
※AERA 2021年2月1日号