浜矩子/経済学者、同志社大学大学院教授
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日本銀行本店=東京都中央区 (c)朝日新聞社
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 経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。

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 日本銀行が2010年7~12月分の政策決定会合議事録を公開した。日銀は政策決定会合議事録を当該年の10年後に半年分ずつ、年2回にわたって公表する。各会合ごとに発表される議事要旨とは違って、発言者の氏名入りだ。原則として全てのやり取りが記載される。なかなか、生々しい。

 10年と言えば、リーマン・ショックによるデフレ風が猛威をふるっていた時期だ。しかもそこに円高・株安のダブルパンチが加わる状況だった。日銀に対しても、何とかしろという政治圧力が強くのしかかっていた。それに屈したイメージになっては、中央銀行の沽券に関わる。さりとて、切迫した事態に日銀が無頓着なように見えてもまずい。ジレンマと格闘しながら、当時の白川方明総裁が打ち出したのが、多様な金融資産の買い入れを含む「包括的金融緩和政策」だった。

 ここが今日の国債と株式の大量購入に向けての本格的出発点だった。だが、白川日銀が踏み出した一歩はあくまでも慎重で、あくまでも控えめだった。就任早々に「異次元緩和」を打ち出した黒田東彦現総裁とは対照的に、白川氏は異次元への旅立ちを何とか回避しようとしていた。

 日銀が資産購入に深入りすれば、どうしても、財政政策の領域に踏み込むことになる。そんな異次元ワールドに突入して帰って来られなくなることは避けたい。行きはよいよい、帰りは怖い。帰り道が分からなくなったらどうするのか。この懸念を強く抱きながらの「包括的金融緩和」であった。

 ここで、日銀の独立性に改めて思いが及ぶ。日銀総裁は国会の同意を得て内閣が任命する。政治に、人事権を握られている日銀総裁。そんな人間に独立性無し。とかく、そのように言われがちだ。だが、これは少々履き違えのように思う。問われるのは、むしろ、任命権者側の見識の方だろう。状況によっては、政府の方針に対して敢然と異を唱える。そのような気骨ある人物を、中央銀行のトップに据えたい。そのような感性を持つ政治は立派だ。

 今の日本は、そのような政治と、あまりにもかけ離れたところに身を置いている。この異次元から早く帰還したい。

浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演

AERA 2021年2月8日号