家族や老いをテーマにした数々の著書で注目を集める作家の下重暁子さん。早稲田大学卒業後、NHKでアナウンサーになった経歴の持ち主です。女性の就職が難しかった時代のことを作家・林真理子さんとの対談で話してくれました。
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下重:私、子どものとき病気だったのよね。結核ですから、死に至る感染症ですよ。ちょうど戦争が終わるときでしたから、奈良県の信貴山という山、大阪との県境なんだけど、その山のてっぺんにある老舗旅館の離れに、小学校の2年と3年の2年間、縁故疎開してたんです。隔離ですね。
林:寝たきりですか。
下重:散歩ぐらいはしてました。隣の部屋に父の絵とか本が山ほど疎開してあったので、その部屋に行って絵を見たり、本を持ってきて眺めて過ごしてたの。
林:どんな本ですか。
下重:大人の本ですよ。夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、ほかに宮沢賢治、小川未明……。子どものころから本は大好きでした。
林:だったら、NHKじゃなくて出版社に行くという道もあったんじゃないですか。
下重:もちろん。だから当然、出版社を目指したんだけど、試験を受けるチャンスすら与えられなかった。女はお断り。公募ではね。
林:新聞社もですか。
下重:新聞社も。私は、自分で自分を食べさせるのが義務で、そうじゃなきゃ自由は獲得できないと思ってる人間だから、どうしても就職しなきゃいけない。だから毎朝、大学の就職課に行って見てましたけど、どこからも女の求人がなくて、ある日見つけたのがアナウンサーだったわけ。それで民放も片っぱしから受けました。そしたらNHKがいちばん早く決まったんです。アナウンサーは言葉を使うでしょ。その意味では編集者とか記者に近いと自分なりに思ったんでしょうね。
林:ご本を読むと、NHKに入っても、早く物書きに転身したいという気持ちだったそうですね。
下重:ずっとそう思ってました。アナウンサーっていう職業、私はあんまり好きじゃなかったの。早く自己表現が一人でできるようになりたくて、どこかで区切りをつけなきゃいけないと思ってたら、9年目が終わったところで民放が私を買いに来てくれたので、それでやめたんです。