2006年に京都大学の山中伸弥医師らが世界で初めて作製に成功した、iPS細胞(人工多能性幹細胞)。日本から生まれた新しい医療技術に、各方面から大きな期待が寄せられた。13年度から10年間の計画で再生医療に対して約1100億円もの国費の投入が決まり、その多くがiPS細胞の再生医療に注がれ、現在に至っている。
iPS細胞を使った再生医療の臨床研究を進める、実際の現場はどうなっているのだろうか。最近1例目の臨床試験がおこなわれた二つの研究について紹介したい。
20年10月、神戸市立神戸アイセンター病院は網膜色素変性症に罹患している60代の女性に、iPS細胞でつくった神経網膜シートを移植した。網膜色素変性症は、光を感じる網膜の視細胞が周辺から死んで視野が狭まり、失明に至る病気だ。遺伝子が主な原因で、症状が出る時期に個人差はあるものの、生まれたときから始まっている病気でもある。国内に約4万人の患者がいると推定される。
この研究は、同病院と「理化学研究所」生命機能科学研究センターの網膜再生医療研究開発プロジェクトの共同で進められている。グループの主要メンバーで同病院の副院長である平見恭彦医師に話を聞いた。まず、網膜色素変性症の通常の治療法は何なのだろう。
「ここ10年で薬の開発が進められているものの、現在効果がきちんと証明された治療はありません。進行を遅らせることを期待して、明暗の感受性を維持する作用があるビタミンA製剤や、神経細胞への血流の障害を改善する循環改善薬などが使われています」
中枢神経の生理的回路の再建を目指す治療は、目の再生医療において本丸とされている。なぜ中枢神経の治療はむずかしいのか。
「全身に分散している末梢神経は自分の力で再生できますが、神経細胞が集まっている中枢神経が自分の力で回復するのはごくわずかです」(平見医師)
だからこそ、今回の移植に注目が集まった。健康な人のiPS細胞からつくった前駆細胞を使った直径約1ミリ、厚さ約0.2ミリの神経網膜シートを、網膜下に1~3枚挿入するものだ。視細胞になる直前である前駆細胞の段階で移植すると、成熟していくため、網膜の再生が期待されている。