
『戦国武将を診る』などの著書をもつ産婦人科医で日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授の早川智医師は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたかについて、独自の視点で分析する。今回は幕末の名君、鍋島直正について「診断」する。
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年賀状には干支に関わるイラストを入れるようにしている。今年は、新型コロナウイルス感染症の終息を願って、種痘を開発した英国の医師エドワード・ジェンナーと牝牛のデザインにした。牛痘に罹った一頭の牛から、20万人分のワクチンができたというから人類の恩人ならぬ恩牛である。
痘瘡(とうそう)は紀元前から中東に存在して東西に広がり、中国・日本でも西洋諸国でも非常に多くの人が犠牲になった。一度罹患すると、二度はかからないことから、明代の中国で感染した人の瘡蓋(かさぶた)を使った「人痘」が行われたが、少なからぬ人が痘瘡を発症するため、普及しなかった。
西洋でも同様だったが、牛痘にかかった乳搾り女が痘瘡に罹らないことに注目したジェンナーは、1796年近所の少年、ジェームズ・フィップスに牛痘を接種しさらに6週間後天然痘を接種するという人体実験を行い、有効性を証明した。現在ならば倫理委員会が絶対に許さない実験だが、 ジェンナー自身も気がとがめたらしく後にフィップスに経済援助したり家を与えたりしている(たかられたという説もある)。
20世紀半ばからは、WHOによって全世界に種痘が行われた。天然痘はヒト以外に感染せず、さらに都合の良いことにオルソポックスウイルスは抗原性が類似しているために複数のウイルスが交叉反応を生じるので、WHOが中心となった天然痘撲滅プロジェクトにより1977年のソマリアの患者を最後に発症者はでていない。さらに最近になって判明したのは、天然痘根絶に役だった種痘ワクチンが牛痘でなくて近縁のワクシニア(ワクチニア)ウイルスだったことである。 ワクシニアウイルスの自然宿主は不明であるが、馬痘ゲノムに類似性があることが指摘されており 、副作用の少ないウイルス株を求めているうちに牛から馬に置き換わったのだろう。