——出産や3年間の休業など、人生のターニングポイントは何度となく迎えてきた。
冨永:一番大きいターニングポイントはやはり、自分がモデルになったことでしょうね。17歳からキャリアをスタートしましたが、当時は長く続けられる仕事ではないと思っていました。今と時代も違って、モデルの間で20歳を超えたあたりで、「これからどうしようか」という話になりましたから。「愛はいいな、日本の中で完結できる仕事があるから。私は国に帰ってもモデルの仕事なんかないからね」。違う国のモデルからそう聞いた時は、「めちゃくちゃ恵まれているな、私」と思いましたね。
——モデルが20代前半で「第二の人生」を考えなければならない時代があった。だが、昨年、10年ぶりのパリコレに参加して驚いた。モデルの多様化が進み、待遇も大きく改善されていた。
冨永:モデルの中でも、世界で活躍できる人数は一握りどころか爪の先くらいしかいません。そこからさらに精査されていく。今はモデルを10代から始めるのではなく、例えば50代、60代から始める人もいるでしょう。モデル業界は本当に変わりました。多様性のある業界になったことで、より見せ方の幅が広がると思いますし、私たちが与える夢に共感できる人も増えてくると思います。「美しさとは何か」を考えれば、それこそ多様であるべきなのです。その点ではいい時代になりつつあると思います。
■パワーをもらっている
——キャリアの幅を広げる一方、国際協力NGO「ジョイセフ(JOICFP)」のアンバサダーを務めるなど、社会貢献活動にも携わってきた。
冨永:その時々に私が感じるところで支援しています。女性を意識しているわけではないのですが、気づけばそうなっていますね。ジョイセフは女性の命と健康を守るための国際NGOですが、出合ったのは2010年。子どもが幼稚園くらいだった頃で、妊産婦を守るということにビビッときたんです。昨年12月に出版された『女の子はなんでもできる!』の翻訳は、男女差別やジェンダーの問題に取り組むことが当たり前になってきた今の時代だからこそ。大変でしたが、この絵本が出ることに意味があると思って取り組みました。私が子どもの頃にはなかった種類の絵本だけに、この挑戦はきっといい経験になるだろうと思ったんですよね。