半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
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■横尾忠則「僕の名誉のため、お話訂正します(笑)」
セトウチさん
先週の本誌の表紙のセトウチさんのお元気な近影を拝見して、この往復書簡の予兆を予感して連載の延命を確信しました。円空と木喰の共作かと思わせるほどの見事な芸術作品がセトウチさんの表情に刻み込まれていました。「死ぬ」と言ってみたり、「百まで生きる」と言ってみたり、全く人騒がせの好きなセトウチさんの信者は「どっちや」と迷妄していますよ。
セトウチさんは時々、フィクションとノンフィクションが混じり合う上に思い込みの激しいところがあって、一度そうだと思うと、その仮定が実体化するのです。その実例が先週の本欄にもろ露呈しました。「ヨコオさんは、すっかり忘れているだろうけれど」とわざわざ前置きして二人の出会いが語られています。ところが、これもセトウチさんの思い込みです。事実ではありません。二人が初めて逢ったのは、セトウチさんは「朝日新聞社の編集室の片隅で偶然出逢った時」だとおっしゃる。初めて逢ったのは新聞広告のための対談で、偶然というのはあり得ません。広告代理店の仕事のために新聞社の編集部が場所を提供することなどあり得ないことです。事実を話しましょう。
僕がニューヨークから帰ってきた翌年の1968年にサントリーの代理店のサン・アドに勤務していた高橋睦郎さんが、平河町の僕の仕事場から僕をピックアップして四谷界隈(かいわい)の小料理屋に案内してくれて、そこでサントリーの新聞の全面広告のためにセトウチさんと対談をしたのが初対面でした。思い出して下さい。その時の司会と対談の編集は確か矢口さんとおっしゃる、「婦人画報」だったかの名物編集者でした。
僕が着いた時、セトウチさんはすでに先着で大変失礼したのを覚えています。僕は確かに五色のストライプの幅広のベルトをしていましたが、セトウチさんがおっしゃるような「ヒモを腰に巻き付けていた」わけではないです。れっきとした男物のベルトでニューヨークのイーストビレッジのサイケデリックショップで買ったものです。