元朝日新聞記者 稲垣えみ子
元朝日新聞記者 稲垣えみ子
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雲一つない透明な東京の冬の空。この貴重な季節が終わってしまうことを惜しむ日々(写真:本人提供)
雲一つない透明な東京の冬の空。この貴重な季節が終わってしまうことを惜しむ日々(写真:本人提供)

 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

【写真】稲垣さんが見た 雲一つない透明な東京の冬の空

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 さて、二束三文での家売却にあたり家を空っぽにするという一大プロジェクト。いやもうマジで大変だったよ! 目をつぶりエイヤアと一切合切捨てれば簡単だったと思うが、少なからぬ引っ越しのたび不要なものはそこそこ捨ててきたので、祖父の代から譲り受けた食器や着物、一時凝って買い集めたリトグラフ、思い出の本やカセットテープなど捨てがたいものばかり。
 なので、ものすごく頑張って活かす方法を考えた。

 家具や絵はネットで専門業者を探し買い取ってもらおうと画策。でもまあ予想はしてたが「高額買取!」と宣伝していても現実には値段なんてつきゃしねえ。英国製大型アンティーク机とソファが計5千円、立派な額つきリトグラフ5点は0円。でもいいの。引き取って頂けるだけで有難い。商品として新たな持ち主の元へ行く道が開けたってことだもん。大切な物がゴミとして捨てられることを逃れただけで僥倖と思う謙虚な私。

 小さなものは、知人の顔と好みを思い浮かべ、喜んでくれそうな人に引き取ってもらった。本とテープは近所のブックカフェ、自慢の高級自転車はマニアックな中古自転車屋さんに宅配便で送る。古い食器は料理店を営むあの人に、着物は体形が似ている友に……夜な夜な両手いっぱいの重い食器や着物や帯を手に旧友を訪ね、ついでに愉快に酒を飲んだ。怒涛の片付けと連日の飲酒でヘロヘロになったが、皆様喜んで下さったこと実にうれしく、ああ良いところへ貰われていった、幸せになるんだヨと、手塩にかけた娘を嫁に出す母のごとくホロリとした気持ちである。

 最後、小学生の頃から使っていたボロボロの布団とベランダの鉢を1万円で廃品業者に託し、ようやく空になった家で一息つく。「もう思い残すことはない」という言葉が浮かぶ。なるほどこれは形見分けであった。誰でも最後はゼロ。そこへ向かって人生を閉じていく作業は大変だけどこの上なく爽やかだったことが嬉しかった。これからこのように生きればよし。足りないものなど何もない。(続く)

稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

AERA 2021年3月8日号