金菱清 関西学院大学社会学部教授(社会学)/撮影:横関一浩
金菱清 関西学院大学社会学部教授(社会学)/撮影:横関一浩
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津波に襲われた地域を回る金菱教授とゼミ生たち
津波に襲われた地域を回る金菱教授とゼミ生たち

 あまりにも多くの人の命が奪われた東日本大震災。遺族は深い喪失を抱え、10年という時間を生きてきた。『私の夢まで、会いに来てくれた――3.11 亡き人とのそれから』(朝日文庫)は、家族や恋人や友人、大切な人との日々を唐突に断ち切られた人々が見た、夢の記録集だ。新型コロナの感染拡大で、「理不尽な別れ」がいつになく自分事として迫るいま、本書に綴られた27編からは、大きな悲しみや苦しみの中でも人々が生き延び、自らを癒やす力に「夢」がなり得るのではないかという問いが、改めて立ち上ってくる。

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■震災遺族の夢の記録集

 大切な人を失った人たちは、「せめて夢の中で会いたい」と願い続けている。これまで二度とこの世で会うことはない相手と夢で邂逅(かいこう)していることは、誰もが想像していても、広く語られることはなかった。

 編者である関西学院大学社会学部教授の金菱清さん(45)の専門は災害社会学だ。東日本大震災の発生時は、宮城県仙台市にある東北学院大学教養学部で教鞭を取っていた。そして、1週間も経たないうちに、ゼミの学生と共に、震災に遭遇した人たちに手記の執筆を依頼して回った。

「被害の大小に関わらず、被災地の人たちが感じたり、見たりしたままの生の声を集めたいと思ったのは、阪神・淡路大震災がきっかけです。当時、私は阪神間に住んでいました。映像のインパクトが大きい物的被害のニュースは大量に流れてくるのに、必死に生き延びようとする人々の声はかき消されていました。2週間遅れで入学した大学の災害心理学でも、課題になったのは、30年も前の新潟地震です。なぜ目の前の大災害で苦しむ人たちに目を向けないのか。疑問を感じことが、東日本大震災での取り組みにつながりました」

 71人から寄せられた手記は『3.11慟哭の記録』(新曜社)にまとめられた。そして、ここから10年に渡る金菱さんとゼミ生による「東北学院大学震災の記録プロジェクト」が始まった。

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