状況が不利になれば、最悪、相手が老いるまで、死ぬまで逃げ続ければいい鬼とは異なり、人間には「時間」という厳しい壁がある。よって、そんな鬼が「逃げる」ことは、卑劣なことであり、それを実践できる鬼の心情を、炭治郎は「恥知らず」とみなし、絶対に許さない。逃亡を阻止するためには、諦めずに「許さない」ことが必須だからだ。
炭治郎は、幼い頃に父を病で亡くし、まだ小さかった兄弟を鬼に殺され、まだ若い母も失った。他の鬼殺隊隊士たちも、愛する人たちとの幸せな時間を鬼に奪われ、まるで手のひらからこぼれ落ちるように「命の時間」を失っていく。非を認めぬこと、その場から逃げることは、人の大切な時間を奪うことにほかならない。命がはかないものだと知っているからこそ、炭治郎は怒り続ける。「失う悲しみ」から、すべての人たちを守るために。
◎植朗子(うえ・あきこ)
1977年生まれ。現在、神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』、『はじまりが見える世界の神話』がある。