「四国に好投手がいるとは聞いていたけど、甲子園初出場だったし、目標は1回戦突破だったのでメディアの注目度は高くなかった。でも、1回戦で渡辺が強打の東海大浦安(千葉)を1失点に抑えて勝った時にこれは良い投手だなと。直球がホップするような軌道で制球もいい。打撃も良くて、タイプは違うけどPL学園の桑田真澄(現巨人投手チーフコーチ補佐)のような存在感でしたね」

 大会前はノーマークの存在だったが、渡辺の好投で強豪を次々に撃破する。快進撃を続けるチームに準決勝で立ちはだかったのがPL学園。当時のPL学園は、4番打者・清原和博(元オリックス)とエース・桑田の「KKコンビ」を擁し、優勝候補の大本命と言われていた。対戦前の下馬評はPL学園の圧倒的有利だったが、渡辺の快投で番狂わせを起こす。清原から3三振を奪うなど強力打線を封じ込め、伊野商が3―1と勝利。眼鏡をかけた渡辺は初々しい表情で「何も言えんですね。(一番警戒したのは)清原です。勝ったですね。気分は最高です。伸び伸び投げられたです、今日は」と試合後に安堵(あんど)の表情を浮かべた。

 勢いに乗り、決勝・帝京(東京)戦も13奪三振完封勝利。渡辺はバットでも2ランを放ち、甲子園初出場初優勝の快挙を果たした。

 渡辺が甲子園に出場したのは3年春の1度だけ。夏は高知大会の決勝・高知商戦で中山裕章(元中日)との投げ合いに敗れたが、春の甲子園優勝で人生が大きく変わった。今年の選抜大会も新たなスターの誕生が楽しみだ。(梅宮昌宗)

※週刊朝日オンライン限定記事

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