それまで、石で叩いても頭の中が壊れそうもなかったので、神経がおかしくなる病気になったことが、小説家の条件の一つのように思っていた私は、これで私も小説家になれるのだと、内心喜んだものでした。
小説家になって、同業の人と付き合ってみると、やはり皆様、少々おかしいお方が多いようでした。
音楽家や、役者さんや、建築家なども次第にお付き合いがあるようになりましたが、皆さん、天才といわれる方ほど、相当頭の方が変わったお方がいらっしゃいました。
でもその変わり方が私には羨ましくて、そういう方と好んでお付き合いすると、心がわくわく幸福になりました。
岡本太郎さんもそうでした。ヨコオさんもそうでした。里見とん先生もそうでした。
揃ってその方々は、世の中を無視して、ご自分の世界をしっかり守っていらっしゃいました。私は、それを羨ましいと思いながら俗物根性が強くて、なかなか世間の目を無視できませんでした。
ところが五十一歳で突然、出家して坊さんになってから、努力したわけでもないのに、仏様がそうして下さったのか、世間の目や批評が全く気にならなくなりました。
出家するとは、この世にありながら、あの世の掟に従うことです。
比叡山の行院で二十代の若者たちときびしい行を受けた時、一度も仏様は目の前には出ては下さいませんでしたが、常に、夢の中までも仏様の見たこともない「まなざし」に見守られている感覚がありました。
行が終わり、下界に降りた直後からその感覚は、消えていきましたが、その感じを味わったという経験だけは、消えずに残りました。
百まで生きてしまったのも、あの世からの指図なのでしょう。あせらず、お迎えを待っていようと思うようになりました。
寂庵は一カ月も早く春がきて、もう桜が散りかかっています。
気候の変わり目に風邪をひきやすいので、くれぐれもお気をつけて下さい。では、またね。
※週刊朝日 2021年4月2日号