経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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エンゲージメント(engagement)という言葉がある。何かにエンゲージするといえば、関わる、関与する、関係を形成する、などの意だ。フランス語でいえばアンガジュマンだが、こっちを使うと実存主義の世界に踏み込むことになるらしい。だが、フランス人なら、より一般的な意味での関係形成に言及する時も、やっぱりアンガジュマンというだろう。
こんな重箱の隅をつつくような話はともかく、最近、この言葉によく出合うようになっている。その一つの要因が、アメリカの政権交代だ。
あくまでも、我が国ファースト。世界となんか、関わりを絶ってもかまわない。エンゲージメントなんぞ糞食らえ。どんどん、「ディスエンゲージ(disengage)」すなわち断絶路線でいっちゃうもん。トランプ前大統領が、このスタンスを前面に出していた。
その彼が降板、代わってジョー・バイデン現大統領が誕生した。バイデン氏は、世界各方面に向かって「リエンゲージメント(reengagement)」すなわち関係再構築を進めようとしている。
企業経営においても、教育研究機関においても、エンゲージメントが肝要なのだといわれる。企業が収益ファーストに固執して、市民社会との関わりをないがしろにすることがあってはいけない。大学も、殻に閉じこもって企業や地域との連携に無関心であってはいけない。こういった観点からエンゲージメントが論じられる場面にも、結構、遭遇する。
エンゲージメントとカップリングはどう違うのか。この点に考えが及んだところで、「おお」と思った。カップリングは、文字通り「カップルになる」ことを意味する。他方、エンゲージメントには「婚約を交わす」の意がある。エンゲージメントは、カップリングの部分集合だ。だが、カップリングにはかなり生々しさが漂う。エンゲージメントはいたってフォーマルだ。
ふたりは永遠の婚約者。このイメージは、なかなかロマンチックだ。そこには、節度と緊張感がある。グローバル時代を共に生きていく我々は、お互いに永遠の婚約者の気分でお付き合いするといいかもしれない。清く、正しく、礼節を尽くして。
浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演
※AERA 2021年4月5日号