人間としてのあり方や生き方を問いかけてきた作家・下重暁子氏の連載「ときめきは前ぶれもなく」。今回は、お墓について。
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文京区にある浄土宗の光源寺にお墓詣でに行った。下重の代々の墓があるので、春秋のお彼岸には必ず訪れる。
本堂前の桜の大木が満開であった。墓前に植えたどうだんつつじが、白い可憐な房をつけている。
私は墓地が好きなのだ。知らない人々の墓をながめて、名前を確かめているうちに近しい知人に思えて懐かしさが溢れてくる。どこかですれちがっているかもしれない……。いやこれからすれちがうかもと思うと、みんなに掌を合わせたくなる。
散歩中、麻布十番の長い階段をのぼり切った先の寺で表に名前のない墓を見かけ、裏にまわってよく見たら、二・二六事件で処刑された人々の墓だった。鍋島家が建てた寺だとか。私は二・二六の年に生まれ、父も縁があったことから、深く頭を垂れた。複雑な思いだった。あの年が転機になって日本では軍部が台頭し、戦争への道を歩みはじめたのだから。
つれあいの家の墓は多磨霊園にある。近くには歴史上の人物やら有名人の墓が多く、見つけて歩くのが楽しい。ここの桜は丈も高く見事なものが多い。「桜の樹の下には屍体が埋まっている」といった梶井基次郎の言葉がうなずける。
つれあいの家の墓から二本ほど奥に入った角の入り口に、四角い平らな石で囲われた、シンプルでしゃれた墓がある。身をかがめて刻まれた名を追うと岸田家の墓で、岸田國士をはじめ、岸田衿子、岸田今日子という名を見つけた。
衿子さんとは軽井沢で、今日子さんとは句会の席で、よく会った。
「木馬を買わない?」と今日子さんに言われて、岩手の山奥で手づくりされた漆ぬりの見事な木馬を買った。仕事に疲れるとその上に乗ってしばらく揺られている。目には見えないけれど、今も、今日子さんも時々愛用の木馬に乗っているだろう。その姿が私には見える。