半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。
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■横尾忠則「終末時計の刻む音が聞こえてきませんか」
セトウチさん
やっぱり神経だったんですね。この連載「止める!」とか「やる!」とかややこしいセトウチさんに、担当編集者は困っておられたんですよ。僕は病気じゃないから大丈夫、大丈夫、セトウチさんのクセが出たと思って下さいと全然心配してませんでした。物書き(描き)はセトウチさんもおっしゃる通り、多少神経がイカレテいるので丁度いいんです。世間的な考えじゃ見えるものも見えません。意味ないです。
降りるエスカレーターを逆に乗る自分に驚いて、精神科の先生に診てもらうことないです。こんなこと僕は意識して何度もやりましたよ。芸術はどこか遊びに似て反社会的行為なんです。セトウチさんが僕の背中に効きもしない雑布みたいな泥の膏薬をベタッと貼ったのも反社会的行為です(笑)。ただし、あの時、その行為をセトウチさんは芸術行為と認識されてなかったので僕は怒ったのです。あれが芸術だとおっしゃれば僕はニコッとして共感しました。
歩きながら物をボトボト落とすことなど心配しないで、このことはネオダダだ! と一言いえばいいんです。いちいち精神科の先生の所に駆けつけることはありません。ちょっと自分が変なことをしたかな? と思われたら、すぐ気を取り戻して、あれはネオダダという芸術行為なんだ、と言ってしまえば、自分を正当化できます。こういうことが日常の中に芸術を持ち込むという意味のない意味なんです。
ちょっと変わり者の同業者を「天才だ」と崇めることないです。彼等がチョボチョボだと思えるようになった瞬間から自分が天才になるんです。天才なんて相対的なもんです。
さて、話題を変えましょう。セトウチさんの話題から自分の話題に変えます。MoMA(ニューヨーク近代美術館)がスイスのスウォッチ社の時計とコラボレーションをして、ゴッホ、ルッソー、モンドリアン、クリムト、横尾の5人の画家の時計を発売しました。全員MoMAにコレクションされている作品をアレンジしたカラフルな時計です。タイムズスクエアのビルボードで時計が紹介されたようですが、そんな風景は冥土の土産に見たかったですね。(5人の時計の写真をメールします)