■「頑張ります」「ありがとう」無難に対応するしかない

 大抵の場合はそこで話は収まるのだが、その女性は眉間に小さなしわを寄せてこう続けた。

「私には20代の一人息子がいて、その存在は本当にかけがえない。そのせいか、谷島さんのご両親のご心配もすごくわかる気がして、だからがんに絶対に負けないでほしいんです」

 谷島さんはその執拗さにカチンときて、つい反論してしまったという。

「お気持ちはうれしいんですけど、両親より先に死ぬかどうかは、僕がいくら頑張っても、どうしようもないことですよね?」

 努めて穏やかな口調でそう伝えると、やっと相手も気づいたらしく、バツが悪そうな表情になって黙り込んだ。谷島さんはこう振り返る。

「善意の発言だとは思いますが、そう言われた僕がどう感じるのかまでは想像できてないんです」

 こうした経験は他にもある。たとえば、「がんは治る時代だから弱気になっちゃダメ」という言葉。そんなことは知っている。だが、自分には当てはまらないから、一時的な気休めは逆につらくなる。

 友人知人から送られてくる有名人のがん克服記事もそうだ。病状には個人差がある。それなのに、部位もステージも違う人の記事に添えられた「救いになると思って」「支えになれば」という言葉に違和感を覚える。

「『自分はいいことをしてあげている』という陶酔感のようなものを感じることもあり、複雑な気持ちにさせられましたね」(谷島さん)

「大丈夫だよ、私なんて……」という発言もそうだ。がんを告白すると、自分の病気について語り始める人は少なくない。だが、悩みやつらさはその人固有のもので、他人の不幸話を聞いても心は軽くならない。

 谷島さんは2015年から、がん経験を新しい価値に変える「ダカラコソクリエイト」というプロジェクトを立ち上げ、がん経験者やさまざまな分野の協力者と共に活動している。そのなかでも「善意の言葉とわかっていても、傷つくことがある」「善意の押し付けがつらい」という話題になることがあった。

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