コロナ禍の旅行需要の激減で全国各地の自治体や企業に出向した客室乗務員や空港の地上スタッフらが累計約750人にのぼるなか、すぐには大きな収益に結びつかない事業に冷めた見方も社内外にある。

■「上げ潮」コロナで一変

 当然、鬼塚さんも、社内の反応には敏感になる。

「事業としてしっかり回収できるお金の使い方をしていきたいと考えています。そうしないと社内の納得感が得られない」

 ANAHDが宇宙事業に乗り出したのは、15年に打ち出した長期戦略構想の裏表紙に「次は、宇宙へ」とのメッセージを記したのがきっかけだ。

 当時副社長だった片野坂さんのもと、グループ経営戦略室の経営戦略担当課長としてこの構想を執筆したのが経営企画部長の津田佳明さん(51)だ。

 10年後のビジョンを描く最終段階。片野坂さんと津田さんは経営陣が求める「10年後ならではのわくわくするようなプラン」を盛り込めていないことに焦りを感じていた。

「どうせ経営陣から『物足りない』と指摘をうけるのであれば思い切って『宇宙』って書いておこうと片野坂さんが言ったので、裏表紙の余白に急ごしらえのデザインを添えてささっと書き込んだんです」(津田さん)

 片野坂さんは子どもの頃から宇宙が好きだったという。冒頭で紹介した対談でも、入社時の社内報に「将来は宇宙を飛んでいたい」と書いたエピソードを披露している。

「当時は片野坂さんの宇宙への思いは知りませんでした。しかし近い将来、人類が宇宙に進出する時代が来るという認識は私にもありました。だったら、エアラインの自分たちがプレーヤーに名乗りを上げれば、アドバンテージがあるんじゃないかと考えたのです」(同)

 しかし、航空業界の上げ潮ムードはコロナ禍で一変した。まとまった予算を宇宙事業に投入する余裕は当面見込めない。とはいえ、熱い視線を注ぐ事業には既に布石を打っている。

 ANAHDは、再使用が可能な宇宙往復機を開発している国内の宇宙ベンチャー「PDエアロスペース」に16年と18年に出資。18年度以降は整備士も出向させている。第1段階の目標は、高度100キロ超の宇宙空間に到達する「サブオービタル(準軌道)旅行」だ。弾丸が弧を描くように飛ぶ「弾道飛行」で地上と宇宙空間を往復する数時間の旅程で、窓から地球を眺めたり、数分間の無重力を体験したりできる。

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