帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長
帯津良一(おびつ・りょういち)/帯津三敬病院名誉院長
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正岡子規 (c)朝日新聞社
正岡子規 (c)朝日新聞社

 西洋医学だけでなく、さまざまな療法でがんに立ち向かい、人間をまるごととらえるホリスティック医学を提唱する帯津良一(おびつ・りょういち)氏。老化に身を任せながら、よりよく老いる「ナイス・エイジング」を説く。今回のテーマは「元気が出る言葉」。

【写真】若くして亡くなった正岡子規

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【正岡子規】ポイント
(1)気分が萎(な)えたら「元気が出る言葉」を思い浮かべる
(2)私にとっての「元気が出る言葉」は正岡子規の俳句
(3)病床での子規の強健な精神には感服し励まされる

「攻めの養生」を提唱して、死ぬまで生命のエネルギーを高め続けようと主張している私ですが、時には気分が萎えることがあります。「ナイス・エイジング」とかけ声をかけても、ひたひたと迫ってくる老いに、負けそうになる時がないわけではないです。

 そういう時に私は「元気が出る言葉」を思い浮かべることにしています。その言葉は人それぞれですが、私にとっては、正岡子規の俳句なのです。

 俳句以前に私は、子規の『仰臥漫録』や『病牀六尺』を座右の書としてきました。『仰臥漫録』は35歳に満たない生涯だった子規が死の直前までおよそ1年にわたって書きつづった病床日録。『病牀六尺』は新聞「日本」に連載した随筆で、死の2日前まで書き続けられたものです。『病牀六尺』の冒頭にこうあります。

「病床六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病床が余には広過ぎるのである。僅(わず)かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある」(岩波文庫)

 そのころ、子規は肺結核から脊椎(せきつい)カリエスを病み、左右の肺の大半は空洞になっていたのです。岩波文庫の解説で上田三四二氏は語っています。

「強健な精神が病弱な身体に囚(とら)われたとき、どういう反応をおこすか。『病牀六尺』はその反応のもっとも壮絶な、あるいは光彩陸離たる、稀有(けう)なるありようの自証である」

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