新型コロナウイルスの感染はいつ終息するのだろうか。新聞に掲載される都道府県別の感染者数、死亡者数一覧を見るたび、戦時下の戦死者数のような錯覚にとらわれた。
コロナ禍の今も、小さな自営業者が無念の思いで閉鎖せざるを得ない状況にある。多くの労働者も不況で職を失っている。いつも犠牲になるのは市井の人々である。
そのとき私の脳裏には、戦後から高度経済成長期にかけて世の中のどこにでも見られた昭和の仕事の数々の姿が思い浮かんだ。
こうもり傘修理業、炭焼き、新聞社伝書鳩係、電話交換手、鍛冶屋、蹄鉄屋、文選工、ポン菓子屋、行商、泣きばい、サンドイッチマン、三助、門付け芸人、傷痍軍人の演奏、紙芝居、ドックかんかん虫、よなげ師など挙げてゆけばきりがない。これらは時代とともに、新しい仕事に取って代わられた。今は思い出されることもなく、携わっていたのが無名の庶民である。
厳密に言えば、そのいくつかは、現在もあるにはある。しかし職業という点からはほとんど消えたと言った方がいい。
これらの仕事が、コロナ禍で犠牲になった人々に重なって見えたのだ。その最中、私は、忘れられた昭和の仕事の内容を描いた『イラストで見る昭和の消えた仕事図鑑』(角川ソフィア文庫)を刊行した。これはかつてこんな仕事もあったという紹介だけでなく、その背後には消えざるを得なかった仕事たちの悲痛な叫びが隠れている。
今後もより新しい仕事が登場し、AI(人工知能)によって今あるほとんどの仕事が機械に取って代わられるだろう。それは「2030年問題」と呼ばれる、日本の人口の三分の一が65歳以上になり、労働者人口が減ってしまうときにより深刻な状況を迎えることになる。そのとき私たちはどのような働き方を模索しなければならないのだろうか。
◆放浪詩人の就いた120種類の仕事
昭和といえば、2005年に映画化された『ALWAYS 三丁目の夕日』の印象が色濃く付きまとう。東京タワーを希望のシンボルとして、高度経済成長の日常を懐かしく描いた作品だ。この頃から昭和を回顧するブームが生まれ、セピア色に彩られたイメージで語られるようになった。
しかしそこに違和感があるのも事実だ。本書に登場する昭和の仕事は、もっと生々しく、毒々しい色合いに塗り固められている。これらは、熊本県出身の放浪の詩人高木(たかき)護(まもる)(1927―2019)が就いた約120種類の仕事や、彼が少年時代に見聞きした仕事について取材して記述したものである。
高木は戦後九州の野山を放浪しながら、その体験をもとに『野垂れ死考』『人夫考』など数多くのエッセイや詩集を残した。彼もまたこの時代に生まれた者が経験したように戦争の犠牲者である。
高木は太平洋戦争で南方に赴き、そこでマラリアにかかってしまう。戦後帰還できたが、マラリアの後遺症で定職に就くことができなかった。
「一番困ったのは頭がぼーっとして、一つのことを考えられないことでした。思考がフィルムが切れたように途切れてしまい、話していると何を考えていたか思い出せないんです」
雇ってくれる会社はない。すでに両親は病で亡くなり、家には5人の弟妹がいた。仕事のできない自分の食い扶持を減らそうと、彼は家を出た。