昨年より続くコロナ禍により、Jリーグの各スタジアムの風景、そして応援スタイルは大きく変わってしまった。改めてクラブとサポーターの関係の再構築が求められているが、過去の歴史を振り返れば、これまでもサポーターの在り方が問われる数々の“事件”が起こっている。
Jリーグ発足時から熱狂的かつ悪名高かったのが浦和サポーターだった。当時はチームの成績が振るわない中でフラストレーションを溜め、自チームの不甲斐なさだけでなく、レフェリーの判定や敵チームの選手たちの行動に怒りを爆発させ、試合終了後は度々ピッチ内へ。自分たちを挑発した相手GK(シジマール)に詰め寄って土下座させることもあった。そしてJリーグ屈指の名門鹿島のサポーターも事件を起こしている。2004年10月23日の鹿島対浦和戦(カシマスタジアム)でのこと。終了間際に失点して2対3で敗れると、試合後に挨拶に来た鹿島の選手たちに向けて罵声、ブーイングの嵐を浴びせた。そして、自分たちが投げた缶を本田泰人に投げ返されると、ゴール裏の一部サポーターが激怒し、ピッチに下り、ゴールネットに本田を押し倒しながら集団で暴行を加えた。
そこから月日が流れ、浦和がアジア王者まで上り詰め、強者のプライドを手にした中で起きたのが、2008年5月17日の浦和対G大阪戦(埼玉スタジアム)での暴動騒ぎだ。「ナショナルダービー」と言われて激しいライバル関係にあった両チームは、当時の報道によると、試合前にG大阪サポーターのアウェー席から投げ入れられた水風船が浦和サポーターの子供に当たったことが発端となり、暴動に発展した。試合では勝利したG大阪の選手たちによる「ワニナレナニワ」の勝利の儀式に浦和の選手たちが抗議してピッチ上で小競り合いになったことも、火に油を注いだ。罵声と物が飛び交うバトル状態は、ホームで圧倒的な人数を誇った浦和サポーターが、約1000人のG大阪サポーターを包囲する結果に。最終的に警察や機動隊が出動し、G大阪サポーターは貸し切りバス16台で帰路に着くことになった。