千代の富士は、ちょうど30年前の1991年夏場所の初日に、当時18歳だった貴花田(後の横綱・貴乃花)と対戦。完敗した。2日目こそ勝ったが、3日目の貴闘力戦に敗れると、潔く引退を表明。会見では「体力の限界……」と発した。
「貴花田に負けて新旧交代を実感し、自身の限界を納得することができたからです」(黒井さん)
白鵬に限界を納得させるだけの力士がいないことが、本人にとっても角界にとっても不幸なことなのだ。
スポーツ選手が引退をちゅうちょする理由が未練ならば、政財界の大立者が粘るのは独善によるところが大きいだろう。
田中角栄元首相は76年にロッキード事件で逮捕され、83年の一審、87年の二審で有罪判決が出ても議員辞職はしなかった。
「もし逮捕後に潔く辞めていれば、ロッキードの田中ではなく、日中国交を正常化した歴史的宰相として記憶に残ったでしょうに」(黒井さん)
田中氏に鈴をつけようとした人物がいた。当時の首相・中曽根康弘氏は<国を救い、党を救い、内閣を救うために>議員バッジを外すよう頼む手紙をしたためた。
しかし、中曽根氏も、自分の時は潔く、とはいかなかった。自民党は2000年の総選挙から比例区での73歳定年制を導入し、当時の小泉純一郎首相に引退を勧告された。中曽根氏は最終的には従ったものの、「政治的テロだ」と強く抵抗した。
このとき中曽根氏に会って引導を渡す役目を負ったのが、安倍晋三幹事長(当時)だった。
小泉氏が潔く総理も議員も辞めたのに対し、安倍氏は森友、加計、桜を見る会……など、問題が多発しても総理の座に居座り続けた。人生いろいろ、引き際いろいろといったところだ。
独善の塊のようなトランプ前米大統領は、選挙に敗れても負けを認めなかった。ホワイトハウス前での抗議集会で演説し、支持者たちの連邦議会議事堂への乱入を誘発したのは記憶に新しい。
最近の日本の政治家でいえば、逮捕・起訴後も辞職しなかった河井克行・案里夫妻。報酬が払われ続けてしまった。