一方で「働く人生」の終わりは、自分自身で決めることも後半生のキーポイントだと考えている。バランスを心がけた食事や、無理な運動はしないといった「制約」にも極力縛られない。
他人の迷惑にならないよう注意はしつつも、自由気ままに生きるのがモットーだ。テキトー(適当)に、そしてユーモアを忘れず、私のゴールは私が決める。
「85歳までは現役で働くからね。よろしくな! 頼むよ、脳ちゃんよ!」
自らの脳に向かって、いつもそう言い聞かせているという。
75歳を過ぎて働く人たちを積極的に受け入れる企業も増えてきた。住宅関連サービス会社「メッドコミュニケーションズ」(東京)の渡辺裕之さん(78)と西岡光江さん(75)は、ともに社長から「100歳まで頼むよ」と言われている。
広報担当者は「わが社では定年制度を廃止し、元気であれば年齢に関係なく働けます」と話す。「100歳は無理でも、あと10年ぐらいはいける自信がある」。そう話す渡辺さんは、施工現場で安全確認をする業務を担っている。現場では足場に自ら上がり、自分の目で危険がないか直接確認することも少なくない。
入社は72歳のとき。もとはゼネコンで働いていた渡辺さんは50代で胃がんと腎臓がんを患った。当時はオーバーワーク気味だったという。以来、長く仕事を続けるには自分の能力の範囲内で無理をしないことが大事だと悟った。今は週に3日勤務し、オンとオフの切り替えを大切にしている。
一方、週に5日出勤する西岡さんは入社28年目のベテラン。1年間のパート勤務を経て正社員になった。毎日、朝8時半から午後5時半まで、電話応対を中心にこなす。
コロナ禍の今は控えているが、普段はジムで1時間ほどプールで泳いだり、歩いたりしている。朝と昼はたんぱく質をしっかりとったバランス良い食事を心がけ、夕食には好きなものをとる。そうやって食生活にメリハリをつけている。
「ありがたいことに75歳になっても働ける職場がある。子どもたちからは『お母さん、すごく幸せだね』と言われます。人と仕事に恵まれると健康でハッピーにいられますね」