「速く泳げるようになりたい、強くなりたいと思って、どんどん免疫力が上がって。ここまで早く戻ってこられた」
10月の日本学生選手権、今年1月の北島康介杯、2月のジャパンオープン(JO)……。大会で泳ぐたび、復帰後のタイムを更新していく。
2月のJO50メートル自由形で2位に入った。復帰後初めて表彰台に上がったが、こう言った。
「結局は2番には変わりない。次は1番を狙いたい気持ちで取り組んでいきたい」
2週間後の大会の50メートルバタフライで優勝した。
「きつい練習でも、負けたくないと思うと、自然と体が頑張れちゃう」
白血病を患う前の池江は、国内では圧倒的な記録で優勝を重ねていた。
「勝ちたいと思わなくても勝っちゃっていた。今はいろんな選手と競って、勝ちたいと思えたら楽しい。負けたらめちゃめちゃ悔しい」
そして、迎えた4月の日本選手権100メートルバタフライ決勝。優勝でメドレーリレーの派遣標準記録を突破し、五輪代表を決めた。100メートル自由形、50メートルバタフライ、50メートル自由形も制して、3年ぶりに4冠を達成した。
「意外と早く戻ってこられた。泳ぎもタイムも全部。伸びていく自信しかない。自分自身にも期待しちゃうような伸び方。オリンピック本番も楽しみ」
池江は復帰後、「目標は2024年パリ五輪」と言い続けてきた。東京五輪は、自身も周囲も狙っていなかったという。予想を上回る復活の要因をこう考えている。
「一番は自分がどうなりたいか。頭の中で考えて、それに向けて行動していくことで、自分のなかの免疫力が上がっていった。気持ちや自分の行動次第で変わっていく」
(朝日新聞スポーツグループ・木村健一)
※週刊朝日 2021年6月4日号