結婚生活のなかで、僕の無計画な性分があらわになるに連れて、彼女からだんだん諦められていったという印象を僕はもっています。諦められても仕方がないと、いまならわかるけど、当時は、諦めつつある彼女のその態度が、僕には『リスペクトされていない』と感じられたんです」

 貴子さんが自分に何を求めているのか。気づいていないわけではなかった。貴子さんは、尚樹さんと自分の人生をすり合わせて「家族」をつくりたかった。でも、尚樹さんは、夫婦であっても、それぞれが個を大切にする生き方がしたかった。

「結局、僕は自分の人生にしか興味がもてないんです。幼稚だとは思いますが、自分の価値観は変えられないし、変えるつもりもなかったですね」

 尚樹さんは、家事・育児については、できる限りやっていた。子どもはかわいかった。忙しいのは相変わらずだが、休みが取れれば、家族3人で公園やテーマパークに行ったり、貴子さんが仕事のときは父子で1日過ごしたりと、仲良く過ごしていた。

 貴子さんが「諦めつつある」からなのか、とくにけんかもしなかった。だから、尚樹さんが離婚を言い出したとき、貴子さんはかなり驚いたようだった。

「シンプルに『離婚したい』と言いました。理解できない、という顔をされました。でも、最終的には僕のわがままを聞いてくれました」

 離婚にあたって、子どもをどうするか、面会交流や養育費はどうするかなどについては、貴子さんの提案をもとに調整した。

「世の中には、養育費を払わない父親もいるらしいですね。もちろん僕は払うつもりでしたが、いろいろきちんと決めておいたほうがいいと言って、彼女主導で公正証書をつくりました。面会交流については、月2~4回と幅をもたせてもらいました」

 尚樹さんは、離婚という最大のわがままを半ば無理やり通したことに罪悪感をもっている。だから、貴子さんが困ったときや辛いときは、子どものことを含め、最大限にサポートすると決めている。

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離婚してからの方が子どもと関わるように