いずれにしても、犯人像として分かっているのは「若い青年」ということだけ。このたったひとつのヒントこそが「三億円事件」の味わいどころです。緻密なようで無防備過ぎる犯行過程から垣間見える、どこか破滅的な「若さ」。いつの時代も世の中は、その手のニヒリズムが大好きです。顔も名前も分からない「若さ」が、ひたすらに「完全犯罪」へと逃げ切っていく様に、いつしか多くの人が犯人のことを「悪党」ではなく「ヒーロー」として見るようになっていったというのも頷けます。無論、人的な被害者を出したわけでも、貧しい人の金を奪ったわけでもない、言わば「遺恨なき犯罪」という正当性を兼ね備えていた点も大きかったのでしょう。

 そして事件直後に作られた犯人のモンタージュ写真。今も「三億円事件」と聞くと誰もが思い浮かべる顔です。モンタージュとは「誰でもない人」の顔。だけどそこにはとてつもない熱量が込められており、日本中が心と時間を寄せ続けた顔。まさに究極の「偶像(アイドル)」です。昭和40年代のモノクロ感。「三億円」という桁外れな金額。未解決事件の薄気味悪さ。何よりも無秩序で無防備な若さ。さらにはそこから漂う耽美な死の香り。それらが曖昧になった今も、あの顔を「生きる手がかり」にしている人は少なくないのかもしれません。

ミッツ・マングローブ/1975年、横浜市生まれ。慶應義塾大学卒業後、英国留学を経て2000年にドラァグクイーンとしてデビュー。現在「スポーツ酒場~語り亭~」「5時に夢中!」などのテレビ番組に出演中。音楽ユニット「星屑スキャット」としても活動する

週刊朝日  2021年6月11日号

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