世界中で上演されている名作「ドレッサー」が、世田谷パブリックシアターで6月28日から始まった。演出は三谷幸喜が担当。主演に抜擢された橋爪功が、その意気込みを語った。
どんなに古典的な作品を上演しても、演劇は、常にその国の、その時代を映すものになるのだという。ヨーロッパ的な近代演劇を目指した“新劇”から、役者人生をスタートさせた橋爪さんによれば、今回、三谷幸喜さんと舞台で初めてタッグを組む「ドレッサー」は、「新劇風に言うと、“近代古典”になりかかっている作品」なのだとか。
「ある劇団の楽屋劇なんだけれども、俺の演じる座長の役は、もっと名優然とした、体格のいい人がやるイメージなんですよ。でも演劇なんていうのは、現代に生きるお客様が、現代に生きている感覚で受け止めるものだから、時代とともに変わっていって然るべきなの。いくらよくできた戯曲でも、初演時のエネルギーをそのまま出すようにしては、今の時代ちょっと何かが足りないと思う。だから今回は、いろいろ仕掛けを考えています。この年にならなきゃこういう役はできないわけだし、そういう意味では俺も運がいい(笑い)。そもそもうちの劇団では、こんなにお客さんは入らないからね(苦笑い)」
俳優になって半世紀以上が経つが、これまでに一度も、「やめたい」とか「やめよう」と思ったことはない。
「要は、何も考えてないんですよ。一言で言うとバカですね(笑い)。こんな調子でよく生き延びてこられたなと思います。ただ、演劇っていうのは、“劇薬”なんですよ。シェイクスピアなんか、本を読んでいるだけで汗が出てくるような毒がいっぱいちりばめられているわけだし。ひとつの戯曲が、時代や国境を超えて演じ継がれていくのは、それが劇薬だからなんでしょう。小説も同じかもしれないけれど、ただ小説はもっと個人的なものだから、人が何を感じているかわからない。でも、演劇の場合、周りとのやり取りがあるから、今回も、大泉くんの芝居を観て、三谷さんの演出を聞いて、『ははぁ、そういうものか』と思ったりする。だから、僕は稽古が一番面白いですね」
「ドレッサー」の舞台は、第2次世界大戦下のイギリス。橋爪さんが演じるのは、戦時下でも巡業を続けるシェイクスピア劇団の座長である。「リア王」の上演を巡り、舞台裏で演劇人たちが右往左往する物語を演出することは、三谷さんの念願でもあった。
「台本を読んでいると、妙に、自分の人生とオーバーラップするところがあるんですよ。演劇は、芸能であり芸術なんだけれど、それと同時に興行でもある。その純粋な表現欲の部分とビジネスのねじれ感とか、座長の演劇に対する根深い思いとか、幕を開けるまでの絶望的な疲労とか(笑い)」
わざわざ声を大にして言うわけではないが、「もっと多くの大人の人たちに、劇場に足を運んでほしい」という思いは常にある。長く演劇や日本語、詩歌に関わってきて、経済の根幹が揺らぐことがあっても、文化だけは、時代や国境を超えて生き延びていくものだと信じているからだ。
「今度の芝居も面白そうだよ。まぁ、乞うご期待と同時に、つまらなかったら平にご容赦ください、だね(笑い)」
※週刊朝日 2013年7月5日号