――テレビの普及とともに、アレンジ(編曲)の仕事は民放からも舞い込むようになり、多忙を極めた。だが、そこでアレンジの仕事をやめるという大英断を下す。それが、作曲家の道への転機となった。

 仕事はたくさんあるけれど、どれもこれもアレンジの仕事。日本は音楽に飢えていたんです。海外からはどんどん、オペラもクラシックも流行歌も入ってくる。それを日本人がカバーするには、編曲が必要でした。

アレンジばっかりやっていると、ものすごく安いんですよ。ギャラが。それにね、アレンジは人の作ったものを編曲するわけですから、「左脳」の仕事なんですよ。作曲は「右脳」。似ているようで、まったく違う。左脳ばっかり使ってるとね、作曲が下手になるんです。これじゃやばいなと思ってね。よし、編曲をやめようと。何のあてもないのに、来る仕事来る仕事すべて友達や後輩に振り分けて断っちゃった。

 さてどうしようかと思っていたら、助けてくれたのが妹だったんです。妹は当時、アパレルメーカーのレナウンの宣伝部にいましてね。美大を出てイラストレーターをしてた。新しいコマーシャルを作るスタッフになったとき「兄貴が作曲できるらしいです」って言ってくれた。

――初めて世に出したのが「ワンサカ娘」。そのヒットを皮切りに、アニメ主題歌「魔法使いサリー」や「ひみつのアッコちゃん」も手掛けた。あの、「狼少年ケン」の「ボバンボバンボン ブンバボン」も「魔法使いサリー」の「マハリクマハリタ」も小林の作。作曲には学生時代のジャズバンドが肥やしになったという。

「ワンサカ娘」は、作詞も僕。「ワンサカワンサ、ワンサカワンサ、イェーイイェーイ、イェイェイ」って。意味というより語感。ああいうのが好きでね。頭に浮かぶんですよ。

 やっぱりなんか、音が出てくるんだな。それまでのアニメソングって、オーケストラとか児童合唱団が主流だったんです。ジャズっぽい音楽を作る人間が僕ぐらいしかいなかったんじゃないかな。

 大学時代、米軍基地へ行ってたでしょ。そこで鍛えられましたね。誰がどこから手に入れたんだか『1001』(センイチ)っていう本があって、そこにスタンダードジャズの譜面が1001曲分、載ってるの。それをみんな暗記してね。なにしろいつ、何をリクエストされても弾かなきゃなんないから。「A列車で行こう」「イン・ザ・ムード」「枯葉」……いまだに頭に入ってますよ。

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