■それぞれに委ねたい
――中学3年生で第39回少年の主張全国大会に出場し、多様なジェンダーの在り方を訴え、文部科学大臣賞を受賞した。高校1年生からジュノンボーイとしてモデルの仕事を始め、現在はさまざまな場で自分の体験や考えを話す機会も多くなった。
井手上:オープンに生きるようになって、周りが明るく接してくれるようになったのは、びっくりでした。正直、母に打ち明けてからは、「周りにどう思われようと関係ないや」ぐらいに思っていたんです。悪口や陰口を言われても気にしないぞ、と。
でも、今までのいろいろな経験があって、周りを変えるためには自分が変わるしかないってことに気付かされました。悪口や陰口を言われたら、腹が立つし、つい周りの人を責めてしまいがちなんです。だけど、今の自分に対して周りの人が思うことは変えられないってことも、事実なんですよね。それなら、自分が先にもっと良い方向に変わっていきたい。
だけど、自分が生きやすくなる代わりに、他の誰かがこれまでよりも窮屈な思いをするのでは、意味がないと思うんです。
私が経験から得たことが全ての人に当てはまるとは、全く思いません。私は、母が味方でいてくれたし、その意味ではとても恵まれていたと思います。でも性的マイノリティーであることを親が認めてくれない家庭だってあるし、人によって支えてくれる人、大切に思う人も違う。私の言葉が心に響かない人も、もちろんいると思います。だから、「私の気持ちを理解して」とか「私はこうだったから、こうすればいい」と言い切ってしまうことはしません。
――マイノリティー当事者の話を聞くとき、多くの人は無意識にLGBTQの“代弁者”としての役割を期待しがちだ。だが、井手上の主語は、いつも「漠」。発信するのは、個人としての立場からの言葉だ。それは男と女、多数派と少数派の境界線上に立つ井手上だからこそ、できることなのかもしれない。
井手上:私にできるのは、私が経験してきた“事実”を伝えることです。それをどう受け止めて、何を感じるのかは、言葉を受け取ってくれた人それぞれに委ねたいし、自由だと思うんです。
(ライター・澤田憲)
※AERA 2021年6月21日号