ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回は、ものぐさ、について。
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小人閑居して不善をなす──。このコロナ禍、わたしはまぎれもない小人だが、不善も善もなす才がないので、ただ陋屋(ろうおく)に閑居し、日々、庭の金魚とメダカとスズメとキジバトに餌をやり、仕事部屋のグッピーとサワガニの世話をし、オカメインコのマキと歌をうたい、よめはんと二人麻雀をし、買い物のお供をし、その合間に原稿を書いていると、あっというまに一日がすぎていく。そうして、そのあっというまが、齢をとるごとにますます、あっというまになるのだから、ルーティンを外れることはできるかぎりしたくない。
そう、わたしはものぐさだ。自分に都合のわるいこともよく忘れる。原稿を書くのは仕事だから締め切りを守るが、ほかのことはたいていがめんどくさい。
この季節、わたしは寝ても起きてもTシャツとトランクスで暮らしている。シャツを着るのはいや、ズボンを穿(は)くのもいや、郵便物を出しに行くくらいのことはTシャツとトランクスとビーチサンダルで外に出る(郵便ポストは歩いて一分のところにある)。黒っぽい無地のトランクスだと、少し下にずらしておけば短めのショートパンツに見えるから、犬の散歩をしているひととすれちがっても気づかれる恐れはないし、猥褻(わいせつ)物を陳列しているわけでもない。
──と、前置きをしておいて、この月曜日、よめはんと近くのスーパーへ買い物に行った。パーキングに車を駐(と)めたときに気づいたが、わたしはショートパンツを穿いていなかった(よめはんはいつもボーッとしているから、そのことに気づいていない。そもそも、夫に関心がない)。
ま、ええやろ。いつものごとくトランクスをずらしてスーパーに入り、よめはんにつき従ってカートを押す。市井の老夫婦として違和感はない。
よめはんの指示で冷凍ケースの扉を開け、稲庭うどんをとってカートに入れたとき、よめはんが尻をつまんだ。「ピヨコちゃん、短パンは」「穿いてません」「なんで穿かへんの」「めんどいから」「恥ずかしいよ」「そうかな……」「知らんかったん?」「いや、さっき知った。車を駐めたとき」「そやのに、いっしょに買い物してるわけ?」「おれは平気やけどな」「わたしが恥ずかしいやんか」「誰にも分からへんて」「そうやって、なんでも平気になるのが怖いんやで」「心しておきます」