それから、崔さんらしいなと思ったのは、「月は~」のオーディションの裏話を聞いたときですね。崔さんが「こいつしかいないと思った」と僕に言いながら、実は200人くらいの候補と会ってたんですよ(笑)。「会ってんじゃないですか!」って思わず突っ込みました。いい意味のずる賢さというか、人間臭さがあったなって。

――「映画の面白さ、素晴らしさを教えてくださったのが崔監督でした」とコメントを出されていました

 僕は「月は~」で、崔さんから映画の世界へ導いてもらったのですが、そのころはまだフィルムカメラで撮影をしていたんです。単館ロードショーだったので、制作費も少ないのでフィルムを無駄にできないんですね。いまだと撮っていない画はないくらい何度も撮ることもありますが、当時は違う。一枚の画が、例えば、焼けてなくなってしまったら、もう画がつながらないというような時代なんです。だから、1カット1カットみんなが必死でやっていました。役者は魂を注ぎ込んで一枚の画を生きたものにしていく。そんな感じはありましたね。

――崔さんに教わって今に生きていることは?

 エナジーを持っていなければ、人はついてこない。エナジーがなければ、何も作れない、というのは崔さんに教わったことです。

 それを感じたのは、「犬、走る DOG RACE」(1998年)のときですね。新宿で、青梅街道を走ってアルタ前まで行って、そこで発砲するっていうシーンを撮ったんです。崔さんを慕って協力してくれた一流のカメラマンが四方八方に散らばって、スタートの合図で崔さん自身も役者の横を一緒に走る。そして、発砲してそのまま止めておいたロケバスに乗って立ち去るっていう(笑)すごい撮影をしてましたね。

――崔さんのエナジーとは何なんでしょう?

 何て言うんですかね……、瞬発的な行動力です。「平成~」の撮影でのことですが、カメラから25メートルくらい離れたところに僕がいて、さらにそこから25メートルくらい離れたところに、10代の俳優の子がスタンバイしていたんです。本番が始まるギリギリのときに、ワッて僕に向かってすごい形相で走って来るんです。「ぶっ飛ばされるのかな」と思って身構えたら、横をすごいスピードで抜けて行って、その子のダメ出しに走ったんです。崔さんにとってはその子の芝居が想定と違っていたみたいで。一瞬にして、「赤サイ」になって、鬼の形相で走って行くんですよ(笑)。トランシーバーで伝えるとかほかの手段もあるなかで、自ら行って気持ちをぶつけていかないと気が済まないんですよね。自分の言葉で自分の熱量をしっかり伝える。それがとってもいいんです。忘れてはいけないアナログの大事な部分を教えてもらいましたね。

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